境内のご案内



 案内板  駐車場の傍にあります。




◎ 仁王門におうもん

 

 古保利薬師の仁王門をあしらった「八重饅頭」の包装紙
 左の大木は、広島県指定天然記念物「古保利の大ヒノキ」です。
 昭和57年(1982年)まで、仁王門は次の写真のように、
 階段の両脇に、階段にかぶさって建っていました。
 「八重饅頭」の包装紙は、この時代の様子を描いたものです。
 
 

 地元で育った三宅昭典氏は自著『回想の古保利薬師』の中で、
 子どもの頃に祖母に引かれて訪れた折に、
 「石段上の仁王門辺りは大桧や杉木立の陰になり不気味な霊気が漂い、
 暗がりの中から腕をふり上げた仁王がいまにも飛び降りてくる幻覚に
 おののいたものである。」と振り返る。

 昭和54年発行の久野健著『仏像風土記』に、
 このように石段の上に仁王門があるカラー写真が掲載されています。

 昭和57年に仁王門の建替えに着手。



 元の仁王門があった箇所です。
 向こう側の大木が「古保利の大ヒノキ」です。

 新しい仁王門は、階段を上がった所に建てられました。
 1984年(昭和59年)



 そして、傷んでいた仁王さんも補修されました。
 ⇒ 仁王さん


 古保利の大ヒノキ


 広島県指定天然記念物

 推定樹齢千八百年とか(昭和17年推定)。
 重要文化財の仏像よりも四百年も古い。
 落雷のために枯れた中央の幹を切断しました。
 その大きな幹を講堂に飾っています。


◎ おさすりさん



 仁王門の東側(右)にある「おさすりさん
 お釈迦様の弟子のひとり、「賓頭盧突羅闍」の仏像を祀ります。 
 詳しくは古保利薬師の仏像
 おさすりさんにお参りして、自分の患部と同じところ(仏像)をさすると病気が治ると言われ、多くの方がお参りになります。
 入場無料です。
 但し今は、新型コロナの問題があります。
 直接、仏像に接触するのは控えましょう。

 その昔、薬師さんはお医者さん

 おさすりさんには、おみくじがあります。

 おみくじ 20円
平成30年11月改築


 おさすりさんには、お守りがあります。 500円


 1枚500円

 おさすりさんでは、タオルを販売しています。
 このタオルで患部をなでると病気が治ると言われます。


 ◎大歳稲荷神社おおとしいなりじんじゃ




 収蔵庫の西(左)隣に「大歳稲荷神社」があります。
 地元古保利地区の鎮守様です。
 仏教が日本に伝わる以前からあった、日本古来の神社です。
 新道と仏教が習合され、のちに分離されて、同一敷地に祀られたものと推察されます。
 「大歳稲荷神社」は、「大歳神社」と「稲荷神社」が併合されたものです。
 「大歳神社」は、豊穣を司る神社。
 「稲荷神社」は、稲を担う・・・いずれも、豊作を祈念する神社です。


 
金比羅神社こんぴらじんじゃ



 収蔵庫の東(右)隣に「金比羅神社」があります。
 薬師如来様をお守りします。
 「金毘羅神社」については諸説あるところですが、
 古保利薬師の「金比羅」さんは、十二神将の「宮毘羅(くびら)大将」です。
 インドのガンジス川に棲む鰐(わに)を神格化したものです。
 仏陀が布教のためにガンジス川の大湿地帯を胸まで浸かって渡りました。
 その時に仏陀をお守りしたのでしょう。
 十二神将

 昭和53年に建てられた鳥居が、この度(令和3年10月)
 古保利の講中により改築されました。




  仏足跡(石)ぶっそくせき

  右側が仏足跡(石)

 境内の東側の奥まった一角に「仏足跡(石)」があります。
 仏陀がインド中を廻って説法されたときに立たれたと伝えられる石です。
 仏像ができる前は、ブッタの象徴として礼拝されました。
 その石には仏陀の足跡が刻まれています。
 仏足跡について


  手洗鉢ちょうずばちの薬師水



 仏像収蔵庫は、その昔、仏像が安置されたお堂があった場所。
 そこに至る石段を上がった所の右に、この手洗鉢がある。
 その清水は、目の病にきくと言われる。
 不思議と、年中、涸れることはない。
 その昔、「薬師」さんはお医者さん


 阿弥陀堂あみだどう



 境内の東側に「阿弥陀堂」
 当山は本来、真言宗ですが、長い間、無住職の寺だったため、寺の存続を図り、
 慶応元年(1865年)から明治13年(1880年)までの15年間、浄土真宗に換わりました。
 再び真言宗となりましたが、浄土真宗の時の阿弥陀如来の仏像を、
 別にお堂を建て、安置してお祀りしています。


 ◎ コウヨウザン
 仁王門の左横にそびえたつコウヨウザン
 広葉山とも書く。葉が広いことに由来する。




 中国からの外来種で、日本には江戸時代末期に伝わったそうだ。
 成長が早いから、100年生くらいか?
 境内には、この木と合わせ4本ある。
 昔は、寺や神社に植えられた。
 何の記念に植えられたかは不明。
 最近、その成長力と木質が評価され、一般で植林されつつある。


 ◎ 社叢林の整備



 古保利山を取り囲む社叢林を間伐して大径木を育てます。
 令和4年秋


 ◎ 発掘された古墳

 

 向かいの山の氏神正田遺蹟にあった古墳が、
 昭和58年に、高速道路(中国自動車道)建設のために発掘され、
 境内に移転されました。
 5世紀の古墳ということです。
 人骨がそのまま遺っていました。
 この石棺には土が盛ってありました。


 古保利薬師の社叢林の古墳

 


 古保利薬師の境内を取り囲む社叢林の中にも
 53基の古墳があります。
 そのうち1基は前方後円墳です。
 径10mの円墳を試掘したところ、
 竪穴石室から、よろい、やじり、馬具が出土しました。
 この古墳は埋め戻されました。
 全体として、5世紀から6世紀前半にかけて
 この地域を支配していた豪族の墓と考えられています。
 
 この千代田地域には古墳が多い。
 これについて、松本眞著『古保利の仏像』に、
「千代田町(合併前)は広島県内でも有数の遺蹟集中地帯である。
町内だけで約324カ所が確認されている。
その中で、歳の神遺跡群の3・4墳墓は「四隅突出型方形墳丘墓」である。
石塚古墳は東西10m南北11mの横穴式石室の円墳で、
鳥形付子持長頸須恵器が出土している。
古保利から数百mの丘陵東側の壬生西谷遺蹟総数34基からは、
中国製後漢時代の連狐文鏡などが出土している。」
とあります。
 この地域一帯の経済は古代から恵まれていました。
 それが、古保利薬師の仏像を製作し、後代に遺す重要な要素になったと思われます。



 ◎ 落ちない葉の「やまこうばし」

 

 雪が消えても、葉は落ちません。
 「やまこうばし」は、試験に「おちない」葉として重宝されます。
 この葉を合格のお守りとしてお分けする寺社もあります。
 この「やまこうばし」は、車道の参道を少し登った道端にあります。
 木を傷めないように、葉1枚をお授かりください。


 ⇒古保利薬師の歴史と仏像について

 ⇒如来様について

 ⇒堂内に「阿弥陀如来」の仏像


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