「窪田次郎が遺した 日本の宿題」
第四章 臨時民選議院 その3
座作進退
八月十九日。
議題『小学生生徒ヲシテ 行軍座作進退ヲ鍊習セシムル議』
座作進退とは、開始・停止・前進・後退の命令に従って行動すること。県庁のお膝元の第一大区小田郡から出た議題だ。
「藩兵が解体されたため、不慮の備えがない。ようやく徴兵制度が設けられた。ありがたいことだが如何せん、僻地の愚民には報国の義気がなく、徴兵の何たるかを知らない。ただ泣き濡れ、尻込みするばかりだ。このような者を敵地に向かわせても、砲声一発で全軍が崩れてしまう。
戸長に任せて、兵役の義務を説諭させても行き届かない。願わくば、小学生に行軍・座作・進退を練習させ、官員二、三名が県内を巡回して戸長を監督し、各戸各人を注意すれば、彼らは国を守る盾となって大成するものと期待される。」
士族の議員から、
「若者は、休日に槍や剣術、柔術を勉励させてはどうか?」
その一方で、美作一帯では昨年に発生した血税一揆の緊張が解けておらず、「時勢がそこまでに至っていない」と反論する議員があった。
しかし、可と決議された。
その他、寺の仏具を売却して学資に充てる、妾を持つ者に税を課す、姦通罪を親告罪とせずにすべからく罰する、芸妓娼妓の梅毒検査と教育、相撲の廃止、衣服の改正などが議題に上がった。
八月二十日。
議題『正租 速ニ御改正ノ議』
「昨年七月の布告で正租が軽減されるとあったが、いまだ軽減されない。一方で、雑税は日に日に緻密になる。それでは約束が違うと民は疑念を抱いている。税が改正されるまで、新たに雑税を設けることは御猶予いただきたい。」
地租の軽減について、いくつか要望が出た。誰もが望むところだ。
甲斐議員も、
「駕籠税は致し方ないとしても、病人のために備え付けている駕籠にまで税を課すのは止めていただきたい」
もっともなことと、可と決議された。
華士族ノ名称廃止
議題『華士族ノ名称ヲ廃止スルノ議』
我々第六大区から建議した議題だ。
第十五小区では、この件について三点を決議した。華士族の名称廃止と、華士族に寛大な閏刑の廃止と、俸禄の廃止だ。ところが第六大区では、激論の末、俸禄の廃止の一点を除外した。県会へ俸禄廃止の議題を持ち出しても、必ず反対されると思われたからだ。ところが県では、華士族の名称廃止や閏刑の廃止さえも否と決議された。
県の議員には、議長の武田直行さんをはじめ士族の議員が四名いる。士族格や郷士格をいただいた方もいる。そのほかの議員はうつむき加減だ。さしたる議論もないまま採決された。苅屋議員と甲斐議員のほか、左手を挙げる議員はいなかった。
第六大区の面々は顔を見合わせ、眉間に皺を寄せた。
外債の回収
議題『外債 忽ニスヘカラサルノ議』
外債とは、日本の国債を外国で発行して資金を調達するものだ。
「先般の東京日々新聞によると、現在の外債を日本の人口で割ると国民一人当たりわずか十六銭余りとのことだ。それくらいのことなら、外国で発行する前に御布告があれば、国内で引き受け手があるだろう。区長が懇切丁寧に国債発行の理由を説明すれば国民に愛国の情が湧き、皇国の御恩に報いるため国民は競って国債を買う。誠に美事かつ盛事ではないか。
世界を見るに、明治三年(一八七〇年)の普仏戦争の結果、敗れた仏国は普国へ五十億フランの賠償金を払うことになったが、仏国は国民が協力してまたたく間に払ったとか。我が日本も負けじと国民がお金を出し合って外債を償還すれば、世界が注目するだろう。
なお、区長に説得力がない場合は、学校教師に手伝ってもらったらどうか。」
各議員とも、もっともだという雰囲気だ。
しかしそれだけでは、苅屋議員は納得できなかった。
「我々第六大区では、すべての国債について事前に御下問があるべきと決議した。外債に限らず、内債も御布告があってしかるべきと付け加えていただきたい」
これに対して、士族の議員が反論した。
「政府が借金をする度に、いちいち国民に御下問をするのは大変だ。言うは易く、行うは難しとは、このことだ」
さらに苅屋議員が粘って、
「政府の借金は、いずれ国民の税で払わなければならない」
口論になった。
「大蔵の遣り繰りは我々には分からない。信頼して任せる他ない」
「任せていると大変なことになる。藩がそうだった」
「その時は商人が泣いたが、今度は商人も慎重になるだろう」
議長が議論を止めた。
結局のところ、布告するのは外債に限る原案が可と決議された。
地方官会議延期
二十日もお昼近くになった時、議場が俄かにざわめいた。
「地方官会議は延期になったそうだ。昨日の東京日々新聞に載っているらしい。太政大臣三条実美の布告だ」
細勤社笠岡本店が東京から電信を受け取り、議場の地福寺へ知らせて来た。
「本当か?」
「すると、この臨時民選議院も延期か?」
議事掛が県庁へ走った。
県は既に知っていた。
矢野権令にお伺いを立ててもらった。
権令がおっしゃるに、地方官会議は延期だが、中止ではない、臨時民選議院は最後までやるようにとのことだ。
さらに電信が入った。
延期の理由は、台湾問題が緊迫してきたためらしい。
「せっかくここまで漕ぎ着けたのに・・・」
「いつまで延期か?」
「台湾問題が片付くまでか?」
幾分か拍子抜けしたが、とにかく最後までやろうということだ。権令の姿勢に感謝した。
昼休みの後、午後の議会に入った。
貧院の設立
議題『貧院ヲ設ケ立ツルノ議』
「外国の貧院に倣い、一県に一カ所ないし二、三カ所、高齢の独り者や廃疾者、極貧の者を扶助する施設を設けてはどうか。人民愛憐の一助となり、我が国の一美事となる。なお、入費の半分は政府が出し、残り半分は大区や小区が持つとしてはどうか。」
この議題に対して、
「良いことだが、問題が二つある。一つは僻遠未開の民が資金を負担してくれるかどうか。今一つは、政府に資金を出していただけるかどうか。資金が足りない場合、どうするか。全国一斉と言わず、理解がある開明の地から始めて徐々に僻遠の地へ広めて行けば、数年後は全国に行き亘るのでは・・・」
可と決議された。
議題『工部省ヲ暫ク廃シ 省金ヲ以テ学資ニ給スルノ議』
この議題は、我々第六大区から建議した。鉄道建設や電信工事は一段落した。資金を教育に回して欲しいというものだ。
岡蒸気に乗ったという議員が再び、
「工部省が進める鉄道や電信は、国を挙げての大事業だ。列国に伍して行くには完成が急がれる。無論、教育も大切だ。しかし、政府の財政事情はどうか、情報が乏しい地方の我々には判断でき兼ねる」
私は、東京に滞在中に聞いた。鉄道建設のため、技術や資材はおろか、資金までも英国に頼っている。それを言いたいところだが、傍聴席から立ち上がって発言する勇気が、私にはなかった。
鉄道は程々にして道路を修築して欲しいという十七日の議題と同様に、否と決議された。
その日は、強盗罪は盗品の額や傷害の程度に関わらず重罪に、猥褻な芝居興業の禁止、徴兵の公平な選抜、斬髪の徹底、減税の遡及適用、地域で差がある人夫賃の平準化、教科書を安くするため版権の買収、一夫一婦制の徹底等が議題に上がった。
台風来襲
二十日の議会が終わり、外に出てみると、雲行きが怪しい。生暖かい海風が吹き寄せ、向かいの古城山の木の葉が一斉に白い腹を見せる。
翌二十一日になると、早朝から風雨が激しく、八時ごろには嵐になった。ビュービュー、ゴーゴーと風が鳴り、木の枝が屋根を叩き、ゴトゴト、ガタン、ゴトンと何かが飛んでぶつかる。柱がきしみ、雨戸が風をはらむ。三村家の家族は薄暗い居間に身を寄せた。
居候の平治さんと私は、外に出たり、入ったり・・・
大百姓で地主の平治さんは、稲が倒れはしないか、水害にやられはしないか、西の空を見て気が気でない。私は粟根の我が家が心配だ。高台の我が家は、南の風を真面に受ける。年寄りと女、子どもだけだ。
そして三村立庵さんと平治さんと私の三人が顔を合わせれば、地方官会議の延期の不運を嘆き、第六大区が建議した議題の否決を憤る。臨時民選議院の再開も気になる。何とも、落ち着かない一日だった。
ようやく午後二時頃に風が収まった。
非常事態のため、翌日も会議は中止するとの連絡が入った。
後に新聞に発表された小田県の台風被害は、死者四人。居宅や納屋、神社、小学校などの倒壊九十六軒。堤防の決壊や橋の流出もあった。
官員選挙
そして、二十三日。
地福寺名物の桜は枝が折れ、木の葉が散ったが、檀家のお世話で綺麗に掃除された。会う人会う人が台風の話で持切りだ。
議長は鐘を叩いて開会した。
議題『地方判任官 選挙ノ議』
「官員が一般人に対して無礼を働くことが少なくない。御誓文の趣旨を忘れ、万民の信頼を失い、疑念を持たれるとは残念なことだ。万民が勅旨や御布告を有り難く承るかどうかは、官員が篤実正行か否かにかかっている。権令や参事は、県官の人選を一層調密にすべきだ。現在の官員について、速やかに人選を遣り直していただきたい。」
官員の横暴に腹を据え兼ねたのか。恐らく、士族のいない大区から上がった議題だろう。しかし、いずれの議員も下を向いて黙ったまま。議長が左手を挙げたが、応じて左手を挙げる議員はわずか。議題は、否と決議された。
議題『官員投票方法ノ議』
これも、官員の選任に関する議題だ。
「『勅任官』は天皇が詔勅で任命する。『奏任官』は天皇に奏聞して太政大臣が任命する。『判任官』は太政大臣が任命する。これらの官員は、過失さえなければ終身奉職する。ある人が言う、官員になるには人材ではなく、『電信機』を持っているかどうかによると。
そして官員は、門閥を形成して勢力を争う。その結果、在職している勅任官、奏任官、判任官の三任が必ずしも賢明と言えず、配下の士民が必ずしも暗愚とは言えない。
そこで、こうしてはどうだろうか。
三年か四年を限って、勅任官は奏任官の投票で、奏任官は判任官の投票で、判任官は士民の投票で決める。そうすれば、官員の新陳交代が進み、野に優秀な人材が埋もれることもなくなる。」
勅任官は、東京の本省の高等官に限られる。奏任官は、小田県では権令の矢野光儀殿と参事の益田包義殿の二人だけ。以下の正規の官吏七十人余りが判任官。
どこの大区から出た議題だろうか? 議員を見渡したが、いずれも素知らぬ顔だ。
紋付の羽織と袴の議員が背筋を伸ばして、
「先ほどから聞いていれば、好き勝手なことを言う。誠に無礼千万。村役の選挙とは訳が違う。お上は聖賢に仁政を託された。その臣民を下の者が選ぶなど、とんでもないことだ」
さらに、念を押すかのように、
「下の者を気にしていれば、判断を誤る恐れがある。御見識がある立派な方にお任せすればよいことだ」
これに反論の声が上がらない。否と決議された。
その他、共有地を売却して学校の建設資金を調達、士族の開明教化、地租の平準化、村の小祠合併、河溝浚疏等の議題が取り上げられた。
会期の打ち切り
八月二十四日。
開会の冒頭で、議長が立ち上がり、
「各位の御協力により、多くの議題を審議した。諸般の情勢を考え、本日正午で本臨時民選議院を閉じたいと思う。議員各位の御賛同を得たい」
会期は規則で、二十五日正午までとなっている。一日早い。未上程の議題がまだまだ沢山残っている。第六大区から上げた議題にも未上程のものがある。
苅屋議員が議長席に詰め寄って、
「台風で二日も休会となった。その上、早く切り上げるのは納得できない。我々第六大区から上げた議題の中で、『国債ノ事』、『米輸出入ノ事』や『芝居ノ事』、『相撲ノ事』が取り上げられていない。『台湾征討ノ事』も、戦費の問題がまだ論じられていない」
しかし、議長は会期の打ち切りについて決を採った。
賛成多数で、会期は本日正午までと決まった。明日の二十五日は、旧暦の七月十五日に当たる。お盆だ。それに、遠隔地の議員は泊まり込み。台風の後始末も気になる。地方官会議の延期で、いささか意気消沈していた。
戦費の負担
議題の審議に入った。
苅屋議員と甲斐議員が議長に申し出た議題のうち、『米輸出入ノ議』と『台湾征討費用ノ議』が取り上げられた。
議題『米輸出入ノ議』は良い考えだと、すんなり可と決議された。
ところが、議題『台湾征討費用ノ議』は紛糾した。
「国民に御諮問がない出兵の費用は、大蔵省から払ってはならない。官員の私財で払うべきだ。もし、琉球藩に頼まれたのなら琉球藩に払わせる。琉球藩が払わないなら、浅口郡柏島村の損害賠償と合わせ、台湾に請求する。」
この議題に対して、
「台湾出兵の本当の理由が分からない。従って、その費用を誰が払うべきか判らない。それによって生じる吉兆禍福も誰が受けるか判らない。我々の判断の域を超えている」
「外交交渉の真っただ中だ。相手のあることだ。英吉利も文句を付けていると言うではないか。国内でガタガタすると敵を利するだけだ。政府に任せる外ない」
外交問題は軽々に語れないという意見に押され、可とする議員は第六大区選出の議員二人のみだった。
最終日も正午までというので、会議は駆け足で進んだ。
他には、鉄鉱石が埋蔵していると思われる中国山地の試掘、石高割による郡費の割当に戸数割を追加、県境で格差がある貢租の調整、港で異なる碇泊税の統一、山野の秣場の境界確認などの議題があった。
正午近くなると、会場がざわざわして落ち着かなくなった。
まだまだ議題は残っている。議題として上程されたのは、六十議題。そのうち三十五議題が可と決議された。残る議題は、正副議長と幹事に一任することになった。
以上、二十四日正午をもって、小田県臨時民選議院は閉院となった。
残念会
数日後、川北村の光行寺に第六大区の仲間が集まった。
第六大区が建議した『国体ノ事』、『万民一族ノ事』、『台湾征討ノ事』、『工部省ノ事』が否決された。『国債ノ事』については、二十日の「外債」の審議の折に、内国債も併せて国民に布告するよう苅屋議員が提起したが、取り上げられなかった。
苅屋実往さんが不満を訴えた。
「我々の主張が正しい。古いものにぶら下がっている士族と渡り合う積りだったが、士族の側に流れる者が多くて・・・」
同じく議員を務めた甲斐修さんも、
「同じ人間として、当然正しいと思われることさえ否決される。何故、真が見えなくなるのだろうか?」
「旧習に拘り、古来の殻を破れないのだ」
「いや、目の前の得失を考えるからだ」
私と一緒に傍聴した平治さんも、残念がって、
「聞いていてイライラした。勇気のない奴らだ。内心、それでは間違いだと思っているのに、黙っている」
第六大区の会議で誦読を務めた別所春沢さんは、もはや冷めた様子で、
「議員は偉い人ばっかりで、事を穏便に済ませようとする」
地方官会議はどうなるか。台湾問題が片付き次第、開催されるのか。遅くまで議論したが、為す術もない。一人抜け二人抜けして散会した。
矢野権令上京
地方官会議はどうなるか?
ようやく、八月十九日の東京日々新聞が届いた。冒頭の『公聞』の欄に、十七日付けで発せられた地方官会議延期の太政官達が載っている。
そして同紙の『江湖叢談』に、記者の取材記事がある。
「台湾出兵の戦後処理のため、内務卿の大久保利通は全権弁理大臣を清国に派遣した。清国に賠償を要求しているが、和議が整わない場合、清国と兵を構えることになるかも知れない。そうなると、国内で物議を醸す者が出て、流言飛語で思わぬ動乱も起こり兼ねない。県令は本来の任務に立ち返り、県下の治安を護れ。地方官会議は無理に急ぐことはなかろう。」
ところが矢野権令は、県に留まるよう政府から指示されたにもかかわらず、予定通り上京された。東京では、地方官会議を開催するよう政府に上申されたそうだ。矢野権令に御心配をお掛けする。ここまで漕ぎ着けたのに、協力していただいた方々に申し訳ない。遅れてでも、開催されないものか。東を向かって祈るような気持ちだ。
その後も再三、細謹社を通じて東京に問い合わせるが、開催の動きはないそうだ。どうしたものか。仲間の集まりも悪くなり、我々の活動はいわば休眠状態に陥った。
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<ご参考>
・参考資料
「東京日日新聞」明治七年八月十九日付第七七五号(日本図書センター)
・参考文献
前ページに同じ
・参考ホームページ
普仏戦争・・・・・Wikipedia普仏戦争
姦通罪・・・・・Wikipedia姦通罪(夫を告訴権者とする親告罪・・・・このでは、風紀が乱れるので親告の有無にかかわらず罰しようという議題)
勅任官、奏任官、判任官・・・・・Wikipedia勅任官 Wikipedia奏任官 Wikipedia判任官
・舞台となった場所の今日
地福寺の本堂
小田県臨時民選議院が開かれた時の建物がそのまま残っている
この本堂で会議が開かれた
左に仏様
右が境内
仏前の間の左右、手前、その左右と六部屋に分かれる
全体で約四十畳