「窪田次郎が遺した 日本の宿題」
第四章 臨時民選議院 その2
天壌無窮ノ御神勅
最初は、議題『国体ノ事』
第十五小区の決議文がそのまま上程された。誦読の別所春沢さんが、声高らかにゆっくりと三回読み上げた。
議員は紙と筆を持参。評論があれば、手元の紙に筆記する。何人かの議員が思案しながら筆を走らせる。そして議員は座席順に議案台に進み、自己の評論を読誦する。
早速、漢学者の議員が口火を切った。
「お分かりと思うが、そもそも国体とは、天壌無窮の御神勅による皇孫統治の本義が語られなければならない。議案は、賢民奉君とあるのみで言葉足らず。申し訳ないことだ。聖なる君族は帝位につき国土に君臨する。民族のうち賢なる者は臣位を登り、万機を公理して君に奉じる。この文言を、まず冒頭に置かれたい」
続いて、他の議員が、
「私もそう思う。伊勢神宮の大麻を粗末に扱う、不敬な輩がいる。御教導を強化しなければならない。教導使は教導寮に格上げすべきだ」
昨日、開会の早々に難癖を付けた議員が、今日も、
「これだから素人は困る。分かった風なことを言って・・・県会へ出すのも恥ずかしい」
その後も、事ある毎に文句を付けて、議会を混ぜた。
議長の指示で幹事が議題を修正して、再度誦読。その議題の紙が議席を回る。議員は、賛成ならその右端に「可」と朱書、反対なら左端に「否」と朱書する。
「可」が多い。可と決議された。
議題『官費民費ノ事』
これも第十五小区の決議文がそのまま議題となった。
官費だ、民費だと言うけれども、元を糺せばすべて民が負担したものだという論に、
「その通りだ。官費で払ってもらえば、賜ったような気分でいる。これも、元はと言えば我々が払った税金だ。はっきり分かるように、『民費ナリ』を『民費ニシテ君費ニ非サルナリ』に書き換えたらどうか」
この部分を修正して決を採り、可と決議された。
俸禄
議題『万民一族ノ事』
第十五小区の決議が誦読されるや、緊張が走った。
「士族の禄の問題を持ち出すのはいかがなものか? たまたま、ここに士族はいないが・・・」と言って口を濁す。
「新聞を読むに、この問題はたいへん難しいところに来ている。政府もはたはた困っている」
「ああ、しばらく禄を支給しない訳には行かないようだ」
すると突然、傍聴席にいた平治さんが立ち上がって大きな声で、
「遠慮することはない! 問題になっているからこそ、我々がはっきり言うのだ!」
若い頃から、血気盛んで知られる平治さんだ。二人の副議長が、「まあ、まあ」と言いながら、平治さんをなだめた。
しかし、依然として議員は慎重だ。
「職に就けない士族にとって死活問題だ。御城下には、俸禄でやっと食い繋いでいる士族がいる。その俸禄も、値切られ値切られ、我慢している。この決議を聞きつけたら、黙っていないぞ!」
「議題のように、士族の名称を『乞食』に変えろと言うのは、喧嘩を売るようなものだ」
「俸禄のため国債を増やせば『愛華士族』と言うのもいかがなものか?」
「県の職員は、ほとんどが士族だ。俸禄のことで門前払いを食らったら、元も子も無い」
そこで私は、副議長へ休憩を求めた。議事を円滑に進めるのは、拾遺の私の役目だ。
休憩の間、二人の副議長、幹事と私は対応を協議した。
副議長の苅屋実往さんが、
「今の様子では、否決される」
「・・・」
私が説得した。
「五年前に岡田大参事と公議局下局議長の五十川基が、士族の禄を廃止すべきと政府に提言して、時の内閣や太政大臣三条実美から、その通りだとお褒めの言葉をいただきました。県官は末吏です。政府に上がれば大丈夫です。政府は我々の決議を待っているでしょう」
「しかし、政府に上がる前に県で止まってしまう」
さらに私は粘った。
「しかしながら、いずれ解決しなければならない問題です」
議論の末、二人の副議長が相談して、
「どうでしょうか。この度は禄の問題に触れないで、華士族の名称の廃止に留めては?」
「それが無難だ」
「華士族に寛大な閏刑の廃止も、決議に加えてよいのでは?」
本意ではないが、議題を華士族の名称廃止と閏刑の廃止に留めて再提出し、決議された。
平治さんは、閉会の鐘が鳴ると早々に私のところへやって来て、
「弱腰だ。民選議院をやる意味がない」
私も面白くない。二人は愚痴をこぼしながら粟根村へ帰った。
次の日も、参聴者は多い。定刻の八時から会議に入った。
議題『任務期限ノ事』
「戸長の任期が不明確だ。戸長は、県と村民の板挟みになり、小区内で矢面に立たされる。大一揆では、打ち壊しや焼き討ちにあった。辞めたい戸長がいる。一方で、戸長に成りたい者もいる。期限の設定を県に要望する」
もっともなことだと、可と決議された。
議題『国債ノ事』
第十五小区の建議が誦読されると、「なるほど」と感心の風で、しばらく静寂が漂った。銘々が、藩債や藩札の顛末を思い出している。
議員や傍聴者の中には、多額の御用金を納めて苗字帯刀御免や袴着用御免をいただいた方がある。報国両替会社を設立する時にお目にかかった方もある。チラッと私を見て、
「藩は、金が足りないと言っては御用金を出させた。政府もそういうことをするのか?」
「政府の紙幣は大丈夫か? 藩札のようなことにはならないか?」
その質問に答える者はいない。
すると、例の議員が、
「だから、だめだと言ったのだ。県官を呼んで来い!」
神辺の商人の中には、藩へ貸した金が『古借』のため切り捨てられた者がいる。『中借』や『新借』は、無利子や低利で、返済が繰り延べになった。報国両替会社の出資金は相当額が返却されたが、藩札の政府紙幣への交換は遅れに遅れて昨年の五月になった。不安に思うのは無理もない。
「ずるずると借金。そのツケがいずれ我々に回ってくる。無断で借りたものは、もう知らんぞ!」
「そうだ。足りないと言っては借りる。我々がそれをやったら、たちまち行き詰まる。誰も助けてくれない」
報国両替会社は、藩を挙げての大事業だった。各郡や市に割り当て、それぞれに相応の出資をお願いした。「報国」と銘打ったものの、半ば強制的に進めたために反感を買った。その恨みが、今も影を残す。報国両替会社の設立に携わった私は、身が細る思いだ。二度とこのようなことがあってはならない。
議題は、可と決議された。
宰相気分
議題『台湾征討ノ事』は紛糾した。
第十五小区の決議文が誦読された。
「我々一般人民に御下問がないどころか、御上にも無断で始めたと言うではないか。関係した官員の責任は重大だ」
「いや、それは政府の意向が達せず、新聞が届かない田舎者の理屈だ。本当のところは、琉球藩王に頼まれて台湾へ出兵したのだから、日本人民に関係ない。日本兵の埋葬金や傷兵の医療費、養育金など一切は琉球藩王が償うのが道理だ」
「いや・・・琉球に払えと言っても無理だ。悪いのは台湾だから、台湾に払わせるべきだ」
「そうだ。この際、浅口郡柏島村の損害も一緒に賠償してもらう」
実は昨年三月に、小田県第十七大区浅口郡柏島村の帆船が台湾に漂着して積荷が略奪され、乗組員が不当に扱われる事件が起きた。この件もそのままになっている。
台湾問題は、今、大変なところに来ている。陸軍中将の西郷従道は独断で台湾南部へ上陸して、六月に現地を制圧した。これに清国や英吉利が反発して国際問題になっている。この事態をどう収めるか、新聞が連日、刻々と伝えている。巷ではいろいろと議論されるが、こうして一堂に会して議論するのは初めてのことだ。論客は大いに奮い立った。日本国を采配する宰相気分だ。
切りがない。議長は論議を止めた。そして、賛同が多かった発言を書き加えて採決した。可と決議された。
日が傾き、鐘が三つ鳴って散会となった。
小学変則課程
三日目。
議題『小学名義ノ事』は、
「小学校をわずか二、三年で止める子がいる。貧しい地域に多い。そのような地域の学校も所定通り八カ年の正則課程で教えるので、途中で止める子の学業が中途半端になる。あっさりと変則を設けて、四年課程で教える方が良い。四年過程では、読み書きや筆算など基礎的な科目や生計の術を教える。そして、正則、変則のどちらへ入っても良いことにすればどうか。」
可と決議された。
私も、そうだと思った。教育を真剣に考えていただいて嬉しい。
地租改正
議題『地租改正ノ事』
これは、平野部から出た議題だ。
「農地の状況が変わった。洪水で農地に土砂が流入して、以前より二、三尺も高くなった。そのため、旱魃になれば用水に困る。他方、低い農地は、洪水になると病人や女も駆り出して土俵を積むが、土俵が濁流に押し流され悲鳴を上げるようなことだ。いずれも原因は、河川を浚渫しなかったことにある。
旧来の土地評価のままでは公正を欠く。河川の浚渫工事のことも考えて、公明正大に地租を定めていただきたい。」
山間の農地でも、事の大小はあれ、似たようなことがある。
河川に農業用水を依存する農地は旱魃に弱い。洪水で河床が上がったり、下がったり。毎年のように、取水堰が流される。水喧嘩が絶えない。粟根村も同じだ。各地の実情が語られ、全員賛成で可と決議された。
岡蒸気
議題『工部省ノ事』
工部省を廃止しようというものだ。第十五小区の決議が誦読された。
「工部省が推し進めてきた岡蒸気は、一昨年の新橋・横浜間の開通に続いて、今年の五月には大坂・神戸間も開通した。電信機、製鉄場、造幣寮など絵空言と思ったものが現実になり、工部省の目的は達した。もはや廃止すべきだ。」
この議題に対して、次々と評論が出た。
「機械を完備しても、日本人が使いこなせない。急ぐのは教育だ」
「日本の金銀が、外国人の賃金や輸入器械の代金に消えてしまう」
「全国人民の税金を、長崎から青森まで一本の鉄道敷設に注ぎ込んでいる。そのため、国中の道路橋梁が未改修のままだ。これでは、公明かつ平等な恩沢の政治と言えようか。本末転倒の独裁政治と言わざるを得ない。
苗を早く成長させようと思った宋人が、
苗を引っ張って枯らしてしまったという孟子の訓がある。そのようなことにならないよう、要路の聖賢は、国民の幸福とは何かよくよく考えて国政に当たっていただきたい」
議長は、そうした意見を織り込んで修正案をしたため、可と決議した。
次の四議題は、神辺辺りの小区から出た。
神辺は、山陽道の宿場町として栄え、お座敷の芸妓や色町の娼妓が沢山いて、芝居や相撲などの興行も盛んに行われる。その節度を求めて、『糸竹管弦ノ事』、『芝居ノ事』、『相撲ノ事』、『芸妓娼妓ノ事』が議題に上った。
その他、礼式衣服の制定、養蚕規則の改正、新暦頒布等の議題が上がった。
以上、第六大区の臨時民選議院は七日間に亘って開かれ、八月九日に終了した。議員は議題を熟考し、思う存分に討議した。感涙を拭い、無事の完了を祝した。
翌十日と十一日に決議文を点検して、県へ提出した。
百姓は希
後で聞いた話だが、御城下の第二大区深津郡の臨時民選議院で、参聴した三人がこんな話をしていたそうだ。
「民選議院とは、民百姓を選挙して地租改正のことを議論するのかと思ったが、今日ここに来て見ると、選ばれた議員は士族、神官、僧侶、医者、教員ばかりで、百姓は希だ。これでは地租改正のことは取り上げられない。これで民選議院と言えようか」
「君の話に同感だ。議長、副議長は士族。幹事五名のうち三名が士族で、二名が商人だ。討論する議員も、士族や商人ばかりだ」
「お二人の御意見はごもっともですが、鍬を持って田を耕す者のみが民ではありません。四民万民が民です。たまたまこの大区は士族が多いが、他の大区ではそうでもありません」
そうだ。我々第六大区安那郡の議員に士族はいない。とは言っても、議員になったのは、神官や僧侶、教師、医師、庄屋などがほとんど。毎日、田圃に出て鍬や鎌を持つ者は少ない。
小田県臨時民選議院
この頃、私が投稿した『奉矢野権令書』を掲載した郵便報知新聞が小田県内に配られ、民選議院の開催を切望する私の熱意が広く知られるところとなった。「新聞を読んだ。よくやった」と労いの言葉を掛けられ、知らない人からも「あなたが窪田次郎さんですか」と親しく声を掛けられた。
その小田県臨時民選議院が、予定通り八月十五日の開会となった。
各大区から、たくさんの決議が寄せられた。
この小田県臨時民選議院のために『庁下会議概則』が制定され、矢野権令と益田参事の連名で布達された。
会場となる地福寺の本堂は四十畳余り。大きなお寺だが、参聴者を入れるには限りがある。参聴者は百名とする。参聴を希望する者は、議会の前日午前十時三十分までに郡中総代詰所へ申し込む。
平治さんと私は、申し込んで傍聴席に座った。
当日は熱い日差しにも拘わらず、聴衆が境内に蟻の如く集り、階段や敷居に身を寄せ、開けっ放しの室内から聞こえる声に耳をそばだてた。第六大区の議員や博聞会の者も多数押し掛けた。
県下十七の大区から一名ないし二名、計二十五名の議員が出席した。第六大区からは、選出した苅屋実往議員と甲斐修議員が出席した。
またもや、議長選出が難渋した。
民選の議員は、元藩士、区戸長、神官、僧侶、医師、教師、漢学者と分野が様々だ。大区では知られた人だが、県下となると交流が少ない。特に小田県は備中と備後が一緒になったので、初対面が多い。誰に札を入れてよいか、見当が付かない。議員は議場を見渡して、あれは誰か、これは誰かとひそひそ話を始めた。
議事掛が躊躇していると、議員の中から声が上がった。
「時間の浪費だ。県官に決めていただいたらどうか?」
議事掛の区長が、議員の名簿を持って県庁へ向かった。
やはり県は、規則通り議員の入札で公選するようにとのことだ。
その旨を伝え、議事掛が札を配ろうとすると、
「待ってくれ。どこのどなたか分からないようなことでは、選挙にならない」
そうだ、そうだと議場がざわつく。議事掛は、再度、県庁へ走った。
遂に、友野大属と杉山中属が腰を上げ、地福寺へ参られた。
杉山新十郎さんには、啓蒙所の設立時にお世話になった。小田県に採用され、この度は臨時民選議院を熱心に支援していただいている。少属から中属に昇進された。
「民選でやろうというのが、この議院の趣旨です。官選で決めては、その趣旨に反します。どうか、皆さんでお決めください」
とにかく、選挙を実施することになった。
その結果、札は備中と備後に分かれ、備中の議員の多くは元津山藩侍講で明倫館漢学教師の後藤懋議員に札を入れ、備後の議員の多くは元福山藩権大参事の武田直行議員に札を入れた。そして、札の多い武田議員が議長に、次に札が多い後藤議員が副議長に選ばれ、県に上申して任命された。
幹事三名も、入札で選出し、県から任命された。その中に、啓蒙所設立の際にお世話になった元福山藩大属の横山光一さんがおられた。
初日は、正副議長と幹事の選出で終わった。
大区ヘ議員ヲ置ク
二日目の十六日午前八時。
議長は、鐘を叩いて開会した。
『各区ヘ議員ヲ置クノ議』
あらかじめ書写された議題が、各議員に配布された。
「各大区へ議会を置く。議案の有無にかかわらず年四回、議会を開く。その経費は大区が負担する。不満や意見があれば、小区選出の議員に申し出る。議員はそれを記録し、議会で発表して協議する。」
『下議員結構』を構想した私としては、望むところだ。
この議題は、他の大区から上程された。本来ならば、我々の第十五小区から持ち出すべきところだった。うっかりした。この議題の通り、大区に議会が必要だ。併せて、粟根村の代議人議会のように小区にも議会が欲しいが、傍聴席の私は発言できない。
議長が左手を挙げると、これに応じてすべての議員が左手を挙げ、可と決議した。
君費と官費
議題『官費民費分界ノ議』
我々第六大区の決議文がそのまま書写され、上程された。
それに対して、
「官費も民費も、帰するところ民の金だという説には同感だ。しかし、『民費ニシテ 君費ニ非サルナリ』の文言はいかがなものか。
古き時代には、税はすべて帝に差し上げ、帝の思し召しで民に施された。そういう意味で『君費』と言ったが、今はそういう時代ではない。税は、使途を民に問い、民の納得のもとで使わなければならない。今日、問題なのは、官員が思い通りに金を使うことだ。『官費ニ非サルナリ』と書き換えてはどうか?」
なるほど・・・なかなかの論者だ。藩の時代には、年貢の使い道に民は口を出せなかった。口を出せば、「出過ぎたこと」とお咎めを受けた。しかしこれからは、『万機公論』の世だ。官員が勝手に使ってもらっては困る。すべて民に諮っていただきたい。
議長は、『君費』を『官費』に修正して採決に掛け、可と決議した。
天の時・地の利・人の和
議題『外国征討ノ大事ハ 御諮問アルヘキノ議』
台湾問題は、時が時だけに多くの大区から建議された。第六大区からも、『台湾征討ノ事』と題して建議した。
それらを整理すると、問題点が二つに分けられる。
第一は、台湾出兵が国民に諮問なく始められたこと。
第二は、その場合に戦費を誰が払うか。
他の大区から建議された議題の中に、第一の問題点のみを取り上げたものがあった。しかもそれは、『台湾征討』と言わず、『外国征討』の一般論で取り上げたものだ。
「外国への出兵は国家の一大事であり、人民の生死存亡に関係するものだ。あらかじめ国民に御諮問をいただきたい。御諮問がなければ、何のために出兵するのか分からず、巷でいろいろな憶測が飛び、疑惑が生じ、志の有る者も空論に走り、国民は心配するばかりだ。緊急のため御諮問の時間がない時には、後で詳しく御布告をいただきたい。」
現実の台湾問題を論ずれば、紛糾して収拾がつかなくなる恐れがある。一般論のこの方が、賛成を得易いかと思われた。
しかし、それでも紛糾した。
早速、士族の議員が評論した。
「戦争というものは、そのように悠長なことをしていたら負ける。人民に諮問をしている間に、敵が備えの策を巡らす。この度の台湾出兵も、急襲したから勝てたのだ」
「そうだ。ぐずぐずしていたら、逆に急襲される。そんな戦法は、孟子にない」
少し間があって、教師の議員が反論した。
「いいえ、あります。孟子にあります・・・『天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず』、武士だけの機略戦術の時代ではありません。これからは農も商も工も一緒になって戦います。人の和が大切です。人民の協力なくしては勝てません」
なるほどと思った。
ところが、別の士族の議員が反論した。
「いざという時にいつでも出兵できるよう、常に身構えて置くことが国民の務めだ」
堪り兼ねて、我が第六大区選出の苅屋議員が、
「この度の台湾出兵の問題は、政府の内でさえ混乱している。反対した木戸孝允は参議を辞職した。国民も同じだ。反対の者も沢山いる。このようなことでは、先々が心配だ」
延々と議論が続く。まだまだ手を挙げて発言を求める議員があったが、議長は「採決する」と宣して左手を挙げた。しかし、これに応じて左手を上げる議員は少なく、否と決議された。
その日は他に、布達などの印刷経費を官費と民費のいずれで負担するか、出火した者に罰金を課すことの是非等が議題に上がった。
粟根から一緒に来た平治さんと私は、臨時民選議院が開かれる間、三村立庵さんのお宅に厄介になる。三村さん宅には、『民撰議院ノ儀ニ付願書』を提出した時にもお世話になった。
平治さんが憤慨して、
「国が出兵する際には国民に布告するのが当り前と思うが、反対の議員が多い。議員は本心、それで良いと思っているのだろうか!」
三村立庵さんも悔しそうに、
「今もって、兵事は士族のものと思っている!」
平治さんが、すかさず、
「士族は、あわよくば仕官を狙っている。政府に逆らうようなことは言わない」
三村立庵さんが、諦め顔で、
「士族以外の議員も反対に回った。士族格や郷士格、苗字帯刀御免や袴着用御免も遠慮している。同じように、戸長も黙ったままだ」
私も、それ見たことかと、
「行政の側に立つ戸長を議員にするからだ。権令や県官に気兼ねして反対できない。そういう議員を選んだのだから仕方ない。やはり、行政と議政は一線を画すべきだ」
平治さんが、頷きながら、
「今度、議員を選ぶときには、よくよく考えて・・・」
官吏ノ旅費
八月十七日。
議題は『官吏ノ旅費 多寡甲乙アルヲ非トスルノ議』
「官吏の才徳に応じて給料に多少があるのは当然だ。しかし、同じ人間なのに旅費に大きな差があるのはいかがか。殿様の時代の旧習を拘泥している。上官だけが美食をしてよい理はないはずだ。旅費は上下同じとし、従者の数に依って旅費を増やせば公平だ。」
官吏の旅費の内訳など、一般の者が知る由もない。官員が漏らした訳でもない。旅費規程が新聞に載ったからだ。確か、今年二月の東京日々新聞に出た。
滞留一日当たり、太政大臣は最上級で、二円六十三銭。矢野権令は官級六等だから一円五十五銭。最下級の等外三、四等だと三十銭。十倍に近い差だ。あの新聞を見れば、誰でも変だと思う。このような実態が分かったのも、新聞のお陰だ。
しかし、士族の議員から反対があった。
「官級の高いものは、それなりの支度がいる。宿も同じという訳には行かない」
「官位には格というものがある。官位相応の扱いをしなければならない」
そういう面はあるかも知れない。それにしても、何倍も違うことはなかろう。しかし、採決したところ、賛成少数で否と決議された。
議題『鉄道築造ノ官費ヲ以テ 諸国ノ道路修築ヲ乞ノ議』
「鉄道が敷設され、便利になった。しかしそれは東京や大坂のことで、僻遠の地はいまだに不便だ。全国人民の便利を考えるならば、例えば小田県の場合、山陽から山陰へ通じる大道を建設すれば山間地も便利になり、開化するだろう。さらに将来は、この線に鉄道が敷設されることを希望する。
工部省は鉄道や電信の整備に大金を使っている。鉄道や電信の建設は程々にして、地方の道路にも光を当てて欲しい。」
この議題は、高梁川下流域の都宇郡と窪屋郡から上程された。これに対して、東京で岡蒸気に乗ったことがあると自慢する議員が、笑いながら、
「それは、結構なものだ、岡蒸気は。しかし、一斉に日本中にという訳には行かない。そのうち山陽道にもできる。長生きをすることだ」
「道路はどうなる?」
「道路も、等級を決めて、重要な道路から整備するそうだ」
一度には無理だ。そのうち地方の道路も考えていただけるだろう。
そんな雰囲気から、小差で否と決議された。
議員に釈明を求めている訳ではない。小田県民の思いを政府へ伝えたいのだが・・・
外国かぶれ
議題『国体ノ議』
第六大区の決議文がそのまま誦読された。
議員の中に士族あり、漢学者ありで、議論百出した。
「『合衆帝国』の合衆とは、亜米利加合衆国の合衆か?」
苅屋議員が私の方をチラッと見て、答えた。
「そうです」
「亜米利加には皇室がないと聞くが?」
「だから、合衆国の政体の上に皇室を置きます」
そうだ。その通り・・・「合衆」と呼ぶのは亜米利加だけではない。国を併合した英国は「合衆王国」とも言う。合衆国にして国王がおられるからだ。村田文夫先生の『西洋聞見録』にあった。しかし、傍聴席の私には発言できない。
肩を怒らせて聞いていた漢学者の議員が、声を震わせて、
「そもそも我が国には、古代より律令がある。君主の下に神祇官と太政官の二官を置き、太政官の下に八省を置く。これに弾正台と五衛府を置く。これが我が国の基本だ。外国の物なら何でも良いと思っている。外国かぶれにも困ったものだ!」
「そうだ!」
同調する声が、傍聴席のあちこちから上がった。
さらに別の士族の議員が、
「議題に『下議院ヘハ 各府県ノ名代人』とあるが、それは権令のことか?」
苅屋議員が、再び私の方を見て答えた。
「当面はそうです。先々は民選議員が名代人になればと思います」
「民選議員・・・さてさて、このような重大な問題を軽々に論じるのはいかがなものか。我々には判じ兼ねる」
再び、漢学者の議員が諭すように、
「議題の中に『聖君愛民ノ徳』、『賢民奉君ノ義』とあるではないか。名代人は権令のような立派な方にお任せすればよいことだ」
苅屋議員がさらに粘って、
「世界の文明国にはすべからく、民選議院があります」
言いかけた途端、その漢学者が、
「世界は世界! 日本は日本!」
口角泡を飛ばして、演説を始めた。
議長は発言を止めて採決した。議題は否と決議された。
その夜、私は、悔しい思いで遣る瀬無かった。
その日に取り上げられた議題には、官林を半値で士族へ払い下げることに反対、養蚕規則の規制緩和、官員の営利活動禁止、官私学校分界の基準等があった。
下等官吏増給
八月十八日。
議題『下等官吏増給ノ議』
「官吏は人民を保護することを本務とする。職務に専念し、増給を求めるべきでない。しかし等外の官吏は、一家の生活を支えるに気の毒なほど薄給だ。それでは衣食に欠き、国家を顧みる暇もないだろう。一方で、上官一人が末吏の二百人分の給料を取っている。官途に身を投じる者にそんなに差があってよいものだろうか。末吏が貧乏して民財を貪る弊害を心配する。」
これは、旅費の格差の議題にも通じる。
しかし、旅費の議題と同様に士族の議員から反論があり、否と決議された。
議案『印紙貼用ノ議』
「印紙を貼れば信用が高まり、契約が固いものになると言う者がいるが、実印を押すので大丈夫だ。印紙の有無が裁判に影響するというのもいかがか。また、金額の多寡に応じて印紙の額を決めるのはよくない。印紙は全廃して欲しい。どうしても貼れというなら、金額の多寡にかかわらず貸借等の証書は印紙一律一銭に、酒、食類、米、油、醤油、魚類などの商品切手は印紙一律一厘にしてはどうか。」
昨年二月に印紙税が導入され、十円以上の契約には印紙を貼ることになった。さらに今年、少額でも金額に応じて印紙を貼ることになった。ここにいう商品切手とは、贈答などで使う商品券のことだ。
「そうだ、印紙税は反対だ」
という声があったが、庄屋の議員から、
「税を農民ばかりから取るのではなく、商人からも取ろうという狙いがあるらしい」
と述べると、雰囲気が一転した。
「商人は売買契約で儲けるのだから、儲けの一部を税金で払ってもよいだろう」
「贈答は贅沢だ。課税も止むを得ない」
議員の中に商人はいない。
採決の結果、印紙は容認する、従って議題は否と決議された。
その他の議題に、一小区に一寺、代書人の廃止、戸長の能力検査、敬神愛国や朝旨遵守などを教える三条の教則の徹底等があった。
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<ご参考>
・参考史料
民選議会第六大区会議決案(有元正雄ほか著「明治期地方啓蒙思想家の研究・資料編」渓水社)
小田県「庁下会議概則」
岡山県立図書館移管資料「下道郡区務所記」
(岡山県立記録資料館蔵)
写真は、最初と最後の部分
(第2条〜第14条略)
権令矢野光儀と参事益田包義の連名で通達。
県を挙げて臨時民選議院を後押ししていたことが窺える。
山下洋著「史料紹介ー明治七年小田県会の議事について(上)(下)」岡山地方史研究会発行「岡山地方史研究」九八号・九九号
山下洋著「明治七年小田県会の周辺ー浅口郡会・下道郡会の決議ー」倉敷市総務局総務部総務課出版「倉敷の歴史」一七号
「岡山県史料・四(小田県史・上)岡山県立記録資料館
「岡山県史料・五(小田県史・下)岡山県立記録資料館
「井原市史・5」井原市史編纂委員会
「笠岡市史・3」笠岡市史編さん室
「新修倉橋市史・第11巻・史料・近代(上)」倉敷市史研究会編集
「成羽町史・史料編」成羽町史編集委員会
・参考文献
「広島県史・近代1」編集発行広島県
「福山市史・下巻」福山市史編纂会
内藤正中著「「下流の民権説」の成長ー明治七年備中小田県臨時議院設立建白をめぐってー」瀬戸内海総合研究会「瀬戸内海研究」第七号
・登場人物
武田直行 誠之館人物誌「武田平之助(直行)」(誠之館同窓会)
・参考ホームページ
閏刑・・・・・weblio閏刑(三省堂)
三条の教則・・・・・Wikipedia大教院 Wikipedia教部省
・舞台となった場所の今日
地福寺
小田県臨時民選議院が開かれた当時のままの建物
境内の向いは山
今も桜が咲く
高野山真言宗 地福寺