「窪田次郎が遺した 日本の宿題」
第四章 臨時民選議院 その1
第四章 臨時民選議院
いざ、小田県臨時民選議院
いよいよ、念願の小田県臨時民選議院が始まった。
県は、明治七年七月十三日に、県内十七の大区の区長を笠岡の地福寺に集めて会議を開いた。第六大区安那郡からは、副区長の諏沢熊太郎さんが出席した。
この県の会議を受けて諏沢副区長は、第六大区安那郡内十九の小区の正副戸長を神辺の郡会議所に集めた。第十五小区からは、副戸長の藤井平太さんが出席した。私も特別に出席した。
諏沢副区長によると、県の会議の冒頭で、権令矢野光儀殿が力強く申されたそうだ。
「地方官会議が開かれる。小田県民の意向を掌握して会議に出席したい。ついては、国の法や租税のこと、施政の分からないこと、民間の諸問題など思うところを忌憚なく討議して、決議文を提出するように。」
そして日程が決まった。
県の議会は、八月十五日に始めて二十五日に終わるとのこと。
それに間に合わせるため、第六大区の議会は、八月三日に始めて十日に終わる。
第六大区の議会までに、各小区で議員一名ないし二名を選出し、大区へ議題を上程するように。
大区の議会は、先に公布された『区会議概則』により進める。
議会の議事掛を戸長にお願いしたい。
諏沢副区長の話では、会議の中で、区長から県に質問があったそうだ。このような会議は初めてのことで要領を得ない、具体的に何を討議すればよいのか。
この質問に対して県は、特に議題を準備していないと答えた。区長が、それでは雲を掴むようなものだ。何を議題にすればよいか分からないと言った。
しばらくの遣り取りの後、矢野権令自らが説明に立って、
「県民の皆さんの御意見を汲み上げるのが民選議院の趣旨です。皆さんには、平素から疑問に思うことがいろいろあるでしょう。この際、今日この場で遠慮なくお話しください」
そこで区長は、口々に疑問に思うことを話した。権令は、そうした疑問について大区の意見をまとめて県へ建議するようにと申されたそうだ。
私は『奉矢野権令書』で、塵も積もれば山となると、沢山の『少々疑フ所アリ』を書き並べた。その思いを分かっていただいた。嬉しい。我々のいろいろな疑問に耳を傾けようとのお考えだ。権令の積極的な姿勢に、さすがは矢野権令と胸をときめかせた。
諏沢副区長は、その時に話題に上った疑問のいくつかを紹介した。その中には、地租改正のこと、官費・民費のこと、学校教育のこと、新暦のことなどがあった。
第十五小区の集会
臨時民選議院を提言した私の第六大区第十五小区が、まずもって範を示さなければ・・・
早速、副戸長の平太さんと私は、戸長で芦原村総代の安原勝之助さんを訪ねた。そして第十五小区の集会を、芦原村の小学校で開くことになった。
その第十五小区の集会が開かれた。
まずは、第十五小区選出の正議員と副議員の二名の選挙だ。集会で選挙した結果、正議員に粟根村の粟根東右衛門さんが、副議員に芦原村の釈泰成さんが選ばれた。粟根東右衛門さんは、前回の粟根村の代議人選挙で一番得票が多かった方だ。
次いで、何を議題にするか、提案を求めた。
すると、博聞会の会員から次々と提案があった。日頃、博聞会で議論している話題だ。新聞から得たものが多い。現在、紙上を賑わせている台湾問題や華士族の禄の問題など様々な問題が提案された。
私は、その時に出た意見などを参考に、議題の素案を作成した。
そして、数日後の暑い盛り。
粟根村の村人が、ぞろぞろと加茂谷を下る。今日は、第十五小区の臨時民選議院が芦原村の小学校で開かれる。もちろん博聞会の会員は全員出席。他所行きの着物で、真剣な面持ちだ。
「わしらが出てもよいのか?」
「ああ、もちろん! 誰が出てもよい。誰でも言うことができる。言うことが通ったら、大区会から県会へ。さらには、地方官会議まで上る」
「え、本当か?」
「本当だ! 今日はこれから、天下国家を論じるのだ!」
博聞会の者は、鼻高々だ。
大棟梁
芦原村の小学校は、大勢の人で蒸し暑い。
正面の議長席に粟根東右衛門さんが着いた。
議長は、御参集いただいたお礼を言い、稲の按配を話題にして、いよいよ第一条『御国体并御政体之事』の議題に入った。
議長は私に、議案の誦読を求めた。
『大日本国体ヲ合衆帝国ト称シ、賢民奉君ノ義ヲ重ンシ・・・太政大臣ヲ以テ臣民ノ大棟梁トシ・・・子孫万世確乎不抜無限ノ幸福ヲ保ツ可キナリ。』
三回繰り返し誦読した。皆は神妙に聞いている。
要約すると、
「日本の国体は合衆帝国と称する。君主をいただき、官にあるときは臣となり、官でないときは民となる。臣民の大棟梁は太政大臣。左院に左大臣、右院に右大臣。これら三大臣を以って国家を統括し、皇統の君上に奉仕する。
まず、為政官について。
政府右院の官員から県官、裁判官、区戸長に至るまで為政官となる。政府に内務、外務、司法、征討の四省を置く。内務省には宮内寮、文部寮、式部寮、大蔵寮、教導使、開拓使、駅逓使、勧業使、工部使を置き、征討省には陸軍寮、海軍寮、造兵使を置く。
そして、議政官について。
政府左院の上議院は各省寮の代表が上議員となる。下議院は各府県の代表が下議員となり、県や区にも下議員を置き、議政官となる。
祝日には合衆帝国旭日の国旗を掲げ、子孫万世の末永い幸福を祈る。」
福沢諭吉先生の『西洋事情』にあった。共和政治とは名ばかりで独裁に陥っている国もあるが、『純粋ノ共和政治ニテ、事実人民ノ名代人ナル者相会シテ国政ヲ議シ、毫モ私ナキハ亜米利加合衆国ヲ以テ最トス。』
そして東京に滞在中に、佐沢太郎君と欧米の政治について議論した。その時、彼の先輩の加藤弘之先生が書かれた『隣草』や『立憲政体略』、そして出版間もない『真政大意』を貸してくれた。その中で加藤先生は、万民同権・万民共治の米国の政体を称賛しておられた。英国から独立して十三州による合衆国となり、今は三十余州になった。万民は権利を同じゅうし、才識が勝れ、人望の厚い者が『大統領』となる。
この『合衆』という言葉は、従弟の山成哲蔵が師についた村田文夫先生の『西洋聞見録』にもあった。国が併合した英国は共和民政に近いが、王があって『合衆王国』と称する。
我が日本も、君主をいただく。英国に倣って、日本は『合衆帝国』としよう。
最初の議案だ。しかも、国家の基本についての議案だ。畏れ多いと思ってか、皆は緊張の面持ちだ。
静寂の中、賀茂神社の神主さんが、
「よくぞ言ってくれた、窪田さん。神国日本はこうでなくてはならない」
神主さんがそう言われるのなら・・・可と決議された。
国と地方の費用負担
続いて、議題『官費民費分界之事』
この問題は、しばしば議論となる。
政府が小区に新しい仕事を命じる。その経費を県が払うか、小区が払うか。県が租税から払うのを官費と言い、小区が村民から集めたお金から払うのを民費と言う。官費で払うか、民費で払うか。昨年、県が戸長に戸籍の仕事を命じた時に、大問題になった。
まず、私が議題を誦読した。要約すると、
「官が命じた仕事は官費で払い、小区で自主的に行う仕事は民費で払う。太政大臣から戸長に至るまで、官が定めた役職は官費で給金を払う。しかし、官費だ、民費だと言うけれども、元を糺せばすべて民が負担したものだ。だから、官費についても、大蔵省は歳出入の明細表を毎年、公開すべきだ。」
平治さんが、いつものように元気よく切り出した。
「そうだ。戸長、副戸長は権令の任命だ。昔の庄屋とは違う」
副戸長の平太さんが、その発言にうなずき、真面目な顔で、
「昔の庄屋と違って、戸籍の仕事が増えた。そのうち、地籍の仕事や兵役の仕事も・・・戸長の仕事がどんどん増える」
その都度、戸長や副戸長の給料が増え、村民が村へ納める負担金が増える。皆に済まないと恐縮する副戸長の平太さん。
それなら自分が言ってやると、副戸長の弟の平治さんが大きな声で、
「戸籍も地籍も、政府が税を取るためだろう。当然、県が税の内から払うべきだ!」
「そうだ! そのとおり!」
「政府は絞れるだけ絞ろうと思っている。税を何に使うのか、使途をはっきりして欲しい!」
「そうだ! そのとおり!」
会議は、俄然、賑やかになった。
官員ノ私債
議題『国債之事』
私は藩庁顧問として、藩債や藩札の問題で苦労した。藩債や藩札は庶民が知らぬ間に溜りに溜って、大変な額になっていた。その後始末で領民は偉い目にあった。そんなことは、二度と御免だ。
この議題を、次のようにまとめた。
「国債は、既に借りたものは今さら致し方ない。しかし、これから借りる場合には、必ず国民に御下問をいただきたい。不意の出費のため借りた時には、後で御布告をいただきたい。
国債の発行が国内では難しいと思われても、一旦は国内で引き受け手がいないか御下問をいただきたい。国内で引き受け手がない場合に限って外債とする。外債にして利子が外国へ流出するのは、国家衰退の元凶になるからだ。
いずれにせよ、御布告や御下問なくして借金をした場合、それを国債に算入してはならない。それは国債ではなく、『官員ノ私債』に過ぎない。大蔵省は租税のうちから償還してはならない。」
「そうだ! そうだ!」
藩から御用金を割り当てられ、御用金を払うためと称して地代を厳しく取り立てた庄屋がいる。藩を恨めしく思った者は多い。それが大一揆の原因ともなった。藩札もそうだ。物価が上がり、買いたい物も買えなかった。藩札の乱発が原因ということは、誰も知っている。そして私が三年前に岡田吉顕大参事に随行して上京したのは、藩札の問題解決のためだった。しかし、その効もなく福山藩の藩札は安価で、新紙幣への交換が遅れたことを村人は知っている。案の趣旨はよく理解していただいた。
旧来ノ陋習
議題『門閥ヲ廃シテ 片落チタル事』
廃藩置県の前の明治三年に、集議院議員だった岡田大参事と随行した公議局議長の五十川基君が、想を練って政府へ提言した。
「・・・士農工商の区界を破り、誰もが人間本来の『自由自主天理当然ノ権』を発揮すべき。そのために士の禄を廃止する。」
この提言は内閣で称賛され、太政大臣三条実美からお褒めと励ましのお言葉をいただいた。
福山藩は、この姿勢で施策を進めた。士の禄も大幅に削減した。藩の公議局下局の議員には、各郡から見識者を選出した。そして藩士に限らず、民間から広く人材を登用した。私もその一人として藩政に加わった。
政府も明治四年に、穢多非人等の名称廃止の太政官布告を出した。
そして福沢諭吉先生は、『学問のすゝめ』の冒頭で『天ハ人の上に人を造らず 人の下に人を造らずと云へり』と言われた。衆人の知るところだ。
ところが近頃の政府のやることは、この趣旨に逆行している。
そこでこの議題を、次のようにまとめた。
「御誓文に『旧来ノ陋習ヲ破リ 天地ノ公道ニ基ク可シ』とある。この理念に基づき、政府は穢多非人等の名称廃止を布告した。国民はすべて平等ということだ。それならば同時に、華族や士族の名称も廃止すべきだ。
刑罰も閏刑と言い、華士族には寛大な刑が科せられる。これも廃止すべきだ。
寺社の土地を、一般の入札価格の半値で華士族へ払い下げた。それも止めるべきだ。
三大臣以下、官員は百分の九十九までが華士族だ。これも如何かと思う。
華族や士族には、今もって禄が与えられる。禄をもらわなければ食って行けないと言うのなら、士族の名称を『乞食』に変えろ。禄を払うため国債を増やすなら、愛国ではなく、『愛華士族』だ。それでは、国民は政府に服さない。どうしても華士族へ禄を払いたいのなら、昔に戻せ。昔のように華士族に政事と兵事の一切を任せて、御誓文の『旧来ノ陋習ヲ破リ』と国民皆兵の詔を取り消していただきたい。」
傍聴席から「そうだ!」という声がある中で、「百姓に負けるような者が、つまるものか!」と、陰口を叩く者もいた。農民兵の長州軍に、藩兵が敗れた長州遠征のことを言っている。
明治五年十一月に徴兵令が告諭され、翌明治六年一月に施行された。満二十歳の男子は、抽選で三年間の兵役に就く。そして壮年の男子は、国民軍として何時、呼び出されるか分からない。租税をとられた上に働き手を取られては、二重の苦だ。
徴兵令が出た時、徴兵は『血税』だ、生き血を吸われるという噂が飛び、美作辺りでは大変な騒動になった。この辺りでは、幸い、そのような事態に至らなかった。しかし、源次さんのように長州遠征に駆り出されて負傷した者は、正に血税の思いがするだろう。
「百姓が怪我をしたらお終いだ。士族なら名誉の負傷で食って行けるが・・・」
源次さんが藩からもらっていた補償は、廃藩置県で打ち切られた。今は、兄の世話になっている。
「近々、徴兵検査があるという噂だが、本当か?」
副戸長の平太さんが、か細い声で答えた。
「いや、まだ聞いていない」
官員ノミノ戦闘
議題『台湾之争闘 日本政府ト日本人民ト関係ナキ事』
「台湾出兵は、日本国と日本人民にとって重大な事件だ。にもかかわらず、一般人民に何ら御下問もなく始められた。それは『広ク会議ヲ起シ 万機公論ニ決スヘシ』の御誓文に背いている。従って、この出兵は日本国政府と日本国人民に無縁の戦いだ。独断で出兵を決めた『官員ノミノ戦闘』に過ぎない。
だから、戦費を大蔵省から払ってはならない。それを決めた官員の月給のうちから払うべきで、戦闘の結果、生じる問題の一切はその官員の責任だ。」
明治四年に琉球藩の御用船が台湾に漂着して、乗組員が殺害され、積み荷が略奪された。日本政府は清国へ賠償を求めたが、清国は応じなかった。
意見が次々と出た。
「薩摩の西郷従道は、政府に無断で出兵したというではないか。勝ったからよかったものの・・・」
「木戸孝允は、台湾出兵に反対して参議を退かれたというではないか。政府の中で揉めるようなことではだめだ」
「徴兵を急いで、さらに出兵しようと言うのか?」
「ウズウズしている士族がたくさんいるらしい」
「このような独断は、二度とあってはならない!」
「そうだ! そうだ!」
台湾出兵の問題は、連日、新聞を賑わしている。博聞会でも盛んに議論した。
人材陶冶
議題『工部省ヲ廃シテ 人材ヲ陶冶ス可キ事』
「近頃の外国人の雇用には、目に余るものがある。鉄道、電信機、汽船、製鉄場、学校、病院、織綿場、鉱山、鉄橋、司法省、工部省、開拓使など至る所に外国人を雇い、日本の大切な金銀が外国に流れている。何よりも急ぐのは、人材の陶冶だ。この際、工部省を廃して勧業寮と合併し、余ったお金を小学校の費用に廻し、人材陶冶のために使うべきだ。」
この議題に対して、
「外国人に頼らずとも、できないものか?」
「それには教育が必要だ」
「それなら、教育に金を使うべきだ」
「その通り。揃えたい教科書や文具などが沢山ある。まだ、小学校が始まらない県があるという言うではないか」
議題『米相場之事』
「納税が金納になって以来、米相場の変動は農民の悩みの種だ。そこで例えば、東京、大坂、下関、新潟の四カ所の平均相場が一石につき四円以下に下落した時は外国へ米を輸出し、六円以上に高騰した時は米を輸入するという一定の規則を設ける。そうすれば、電信局や郵便取扱所から遠くて米相場の情報が入らない山間地域が、商人に誤魔化されて安く買い叩かれることがなくなる。」
「そうだ! それができればありがたい!」
議題『駕籠税之事』
「昨年に、新たに駕籠税が導入された。駕籠税は営業用だと安いが、自家用は贅沢品とみなされて高い。駕籠に引戸があるものは年五十銭、筵を垂らしたものは年二十五銭が課せられる。
村では、いざ病人が出た、さあ医者へという時のため、駕籠一梃を準備している。病人用であって、贅沢品ではない。無税にして欲しい。せめて営業用並みにして欲しい。」
「金持ちが物見遊山や放蕩のために乗るのとは訳が違う」
「粟根のような山の中では、街から駕籠屋を呼べない。村に一梃は駕籠が要る」
「病気の上に、税をとられては堪らん!」
「異論なし!」
そのほか、裁判所や郵便取扱所の設置、雑税つまり小物成の廃止、失火罰金、芸妓娼妓の指導等に関して議題が上がり、会議は淡々と進んだ。
参加している者は博聞会の会員が多い。平素から議論している意見をまとめたものだ。一部を修正することで了承を得て、会議は一日で終わった。
加茂谷を上る頃には、夏の太陽も山陰に隠れた。
この第十五小区の決議を第六大区安那郡の会議所へ提出した。
第六大区安那郡臨時民選議院
予定通り八月三日から、第六大区安那郡の臨時民選議院が神辺の会議所で始まった。
第六大区内の十九の小区から議員一名ないし二名が集り、議員は三十四人となった。第十五小区からは、選出された粟根東右衛門議員と釈泰成議員が出席した。
会議場の正面に議長席。その前に幹事席。それに向かって議員席が並ぶ。そして左隅に、議事掛の区長や戸長の席。右隅や手前が傍聴席。
議員の席を籤引きで決めた。
諏沢熊太郎副区長が挨拶をしようとすると、いきなり議員の中から、
「県官はどうした?」
「県官はおいでになりません。大区それぞれで議会を進めることになっています」
諏沢副区長が答えると、さらに問い詰める。
「あなた方は、ずぶの素人だ。議会を進めるには相応の者でなければ・・・」
「私たちが精一杯務めますので・・・」
「そもそも議会は、議政掛で開くべきだ。県には、ちゃんと議政掛というものがある。行政は行政。議政は議政。行政と議政を混同してはならない。あなた方、区長や戸長は行政の者だ。行政の者が議政に口を出すとは言語道断。止めてしまえ!」
議員の中に同調する者があり、退席するかの勢い。諏沢副区長はおろおろ、議事掛の戸長はびくびく。
私は立ち上がり、
「おっしゃることはよく分かります。戸長は為政の者です。本来ならば議政に関与すべきではありません。しかし、県が示した『区会議概則』では、戸長が議員になってもよいとあります。そして戸長が議事掛を務めるように、県から御指示がありました。臨時の議会ということで、御理解をいただけないでしょうか?」
「議員を粗末にするにも程がある!」
ぶつぶつ言いながら、渋々と席に着いた。
熊沢副区長が伏し目がちに挨拶して議長選出を宣し、議事掛の戸長が恐々と札を配った。さすが議員は、安那郡内の名のある方々だ。小首を傾げながらも、さっさと名前を書いた。
札を集めて開札したところ、苅屋実往議員と甲斐修議員の札が同数だ。それぞれ、川北村の光行寺と川南村の光蓮寺の御住職。どちらかに議長を・・・話し合ったが、お二人とも譲り合って議長を引き受けてもらえない。結局、どなたかの提案で、二人とも副議長になり、交代で会議を進めることになった。
そして、副議長二人の協議で幹事四名が指名された。その中に、箱田村の細川貫一郎君がいた。誦読の役は、川南村の別所春沢さんが務める。私は民選議院を提唱したことから、全体を見守り、間違いを正す『拾遺』の役をいただいた。
初日はこれで終わった。副議長二名と幹事四名、誦読と議事掛、それに拾遺の私は、居残って議題を選定した。
いよいよ八月四日から、議題の討議に入った。
第六大区臨時民選議院の開催を聞きつけて、参聴者が大勢集った。それぞれの小区で議論した議題が大区ではどう討議されるか、関心が高い。会場に入り切れず、玄関や戸外で聞き耳を立てている者がいる。会議所の周りをウロウロする者も沢山いた。
さすが小区から選出された方々だ。論客として知られる方もある。多数の参聴者の手前もあって、大張り切りだ。小区と違って活発な論戦となった。
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<ご参考>
・参考史料
民選議会第六大区十五小区建議(有元正雄ほか著「明治期地方啓蒙思想家の研究・資料編」渓水社)
民選議会第六大区会議決案(同)
福沢諭吉著「西洋事情」
加藤弘之著「隣草」、「立憲政体略」、「真政大意」(中央公論社・日本の名著34)
村田文夫著「西欧聞見録」前編・巻之下「英国国制」の「総論」の節に、
『英国ノ邦制タルヤ・・・此ノ三邦ヲ合併シテ・・・自ラ合衆王国(ユーナイテート・キングドム)ト称シ・・・』
・参考文献
有元正雄ほか著「明治期地方啓蒙思想家の研究」渓水社
山下洋著「明治七年小田県会の周辺ー浅口郡会・下道郡会の決議ー」倉敷市総務局総務部総務課出版「倉敷の歴史」一七号
「広島県史・近代1」編集発行広島県
「福山市史・下巻」福山市史編纂会
「笠岡市史・第三巻」笠岡市史編さん室
・登場人物
西郷従道 Wikipedia西郷従道
・参考ホームページ
台湾争闘・・・・・Wikipedia台湾出兵 長谷川亮一・幻想諸島航海記「イキマ島」下
美作・・・・・Wikipedia美作国
駕籠税・・・・ビジネス図書館・田中豊「税は世につれ 世は税につれ」