仏像の修理
古保利薬師の仏像は、作成されて以来、長い年月を経ており、
無住の寺となったこともあって、たいへん傷んでいました。
戦後、間もなく古保利薬師の仏像を修理することになりました。
修理に当たったのは、
彫刻師 白石義雄さん
漆師(ぬし) 城本重次郎さん
左・城本重次郎さん 右・白石義雄さん
この写真は、昭和30年(1955年)に
3グループに分かれて活動していた美術院の技師たちが再結集した際の
集合写真から摘出したものです。
集合写真は城本重次郎さんの孫の城本恵壽さんからいただきました。
HP:「公益財団法人美術院・国宝修理所」によると、
美術院の起源は、明治11年に岡倉天心が創設した「日本美術院」に遡ります。
仏像や神像などの木彫の修理に最先端の技術を有する団体です。
戦後は一時的に3グループに分かれて活動しましたが、
昭和30年に再結集しました。
昭和24年頃は、白石さんと城本さんは同じグループにあって、
古保利薬師の仏像の修理に当たっていただきました。
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