USAの民主主義

 2014年11月4日の中間選挙を機に、アメリカ合衆国の選挙を取材して感じるところをまとめた。

○住民投票

 銃規制

いきなり物騒なテーマだ。

 プロ野球球団マリナーズのシアトル市で知られるワシントン州で、銃規制に関する法案が二件、州民投票にかけられた。銃購入の規制を強化する法案と、逆に規制を止めようという法案だ。


 なぜ、そんな相反する法案が州民投票にかけられるのか。

 それは、州民の発議だからだ。法案を作成して一定数の署名を集めれば、州民投票に持ち込める。二つのグループがそれぞれ署名を集めた。Initiative Measure No.594はワシントン州独自で銃購入の規制を強化する案。もう一つのInitiative Measure No.591は連邦政府の規制の州上乗せを禁止する案。

 アメリカ合衆国は憲法修正第2条で、個人が自宅に自衛目的で銃を持つ権利を認めている。しかし、ご承知のように銃の使用による悲惨な事件が相次いでいる。銃所持の規制を求める声は大きい。従来から、販売店で銃を購入する際には、販売店に犯罪歴の確認が義務付けられている。しかし、ガン・ショーやインターネットなど個人間の売買は“法の抜け道”になっていた。法案594は、その際にも犯罪歴の確認を義務付けるというものだ。

 一方の法案.591を支持する人は、誰にも自己防衛の権利がある、隣の州で買えば止めようがないと反論した。

州民投票の結果、規制強化案が賛成多数で可決され、規制禁止案は否決された。

このような銃規制は、ワシントン州が全米初ということだ。



マリファナ

そして日本人の感覚でいかがかと思うのが、マリファナを公認しようという州民投票だ。マリファナを合法化して、酒やたばこと同じように税を課す。

その昔、アメリカでは、禁酒法を制定したが徹底せず、ギャングの資金源になった失敗例がある。マリファナについても、同じような状況になっている。マリファナの取締りや患者の治療のために多額の公費を使う。あっさりとマリファナを認めて税を課し、それを財源に適正使用の教育と中毒患者の治療に充てようというものだ。

すでにこれまで州民投票を実施して合法化に踏み切った州が、オレゴン州など3州ある。

カリフォルニア州では、2012年の総選挙で州民投票にかけられたが、わずかに反対が多かった。2014年の中間選挙にも、数グループが署名活動を始めたが、乱立していずれも必要な署名数を集めることができなかった。おそらく次の選挙で再度、取り上げられるだろう。

銃にしろ、マリファナにしろ、日本では全く許されない。私もそれが良いと思う。立派な先輩諸氏のお蔭で、日本は世界でも安全な国と評価され、善良な庶民は安心して暮らすことができる。ありがたいことだ。そのことにとやかく言うつもりはない。

ただ、気になるのは、「ダメなものはダメ」、「ならぬものはならぬ」と従順に受け入れてしまう国民性だ。

彼らの場合は違う。何であろうと、他からの押し付けはダメだ。自分たちのことは、自分たちで決める、それも「自由」の一つ、というのが彼らだ。

どちらが、まともなのだろうか。

クラスの人数削減

そしてもう一つ、ワシントン州で興味深い州民投票があった。学校の一クラス当りの定数を削減する案Initiative Measure No.1351だ。

現状では、クラスの人数が多くて教育効果が上がらない。ワシントン州の定数は50州中49番目に多いという情けない状況だ。そこで、定数を幼稚園から3年生までは17人に、4年生から12年生までは25人にしよう。そして、貧しい家庭が多い学校ではさらに少人数にしよう。なぜなら、貧しい家庭の子は幼稚園に行けず、家庭教育も疎かになる。そうした家庭の子は、小学校に入っても落ち着かず、机について静かに学ぶことができない。低学年の間、少人数にしてしっかり教えようというものだ。貧困の連鎖を断ち切る狙いだ。多民族の混住で、英語を話せない親がいるという現実もある。

シアトル市では、8年前に、同じ問題意識から斬新な案を市民投票にかけた。エソプレッソ1杯につき一定の税を課して、それを財源に貧しい家庭の子どもの就学前教育をしようという案だ。しかしこれは、市民投票で否決された。

ところが今回の州民投票で、このクラス定数削減案は可決された。

クラスの定数を削減すれば、当然のことながら先生を増やさなければならない。2019年までの5年間で47億ドルが必要になる。所得税の増税を覚悟しなければならない。

もちろん、この法案も住民が提起したものだ。保護者が発想し、理解者の輪を広げ、PTAや教職員団体も協力して州民投票に漕ぎ着けた。この案に賛同のボランティアが、パンフレットを持って各戸を回る。テレビでは、コマーシャルの時間に盛んに訴えた。そのため有志から資金を集めた。

これに比べて、日本はどうか。

恥ずかしい話だが、日本のクラス定数は多い。そして、国民や住民がクラス定数の決定に関わることはできない。

日本においても、クラスの定数削減は長年の課題だった。ようやく2011年に40人学級が35人学級になった。しかし、一向に「いじめ」の数が減らない。元に戻すと、財務省が文部科学省へ注文を付けた。そうすれば、教員が約4千人減り、86億円の人件費削減になるというのだ。日本ではこうした問題が、省庁の判断で決まる。国民は蚊帳の外だ。

その昔、私はPTAの役員を務めた。学校に週休2日制が導入された時期だ。同じように文部省から一方的に始められた。時代の流れだ。そんなものかなと思った。しかし、土曜日に休めない親がいる。そんな家庭の子どもをどうするか話し合った。しかし、まったくの受け身で、週休2日制そのものをどうこうしようなど思いも及ばなかった。

ワシントン州以外の州でも、教育に関して各地で住民投票があった。

USAでは、公教育(幼稚園、小学校、中学校、高等学校)は「学校区」という別の自治体に任される。日本の教育委員会が市町村から独立したようなものだ。

ある学校区では、教員を増やして教育を充実させるため教育税を引上げる法案を住民投票にかけた。またある学校区では、施設整備を急ぐので借金する、向こう5年で償還する、そのために税を引き上げるという法案を住民投票にかけた。そうした法案を有権者に理解してもらうため、学校の情報を積極的に公開する。教育内容や成績はもとより、学校評価の専門機関のランク付けもネットで流す。税金で成り立つ公教育では当然のことと思っている。

学校教育に関心があるのは、子どもの保護者だけではない。教育レベルが高い地域には人が移り住み、繁栄する。逆になると地域はさびれる。地域にとって大事な問題なのだ。教育レベルを上げたい。しかし、増税になる。住民は判断を迫られる。

日本では、教育委員会に財政権限はない。首長部局に従う。教育内容は、教科書検定などでみられるように、文部科学省の指導下にある。全国一斉テストをするが、公開はママならない。教育施設の改修などは行政任せ。それで税が上がるわけではない。学校に対する住民の関心が低いのも致し方ない。

  クラス定数削減案1351に賛成を呼びかけるパンフレット  

  ボランティアが各戸を訪問して手渡した


健全財政化

ワシントン州で、クラスの定数削減案に対する反対意見があった。先生の大幅な増員は財政負担が大きく、増税に耐えられないというものだ。

一方、カリフォルニア州では、「財政健全化法案」が州民投票にかけられた。税収の一部を基金の積立てや過去の借金の繰上げ償還に充てるというものだ。州議会で、民主・共和両党が賛成した。この財政法案は州憲法の修正になるため州民投票にかけられた。賛成多数だった。

この健全財政化法案に対して反対意見があった。財政健全化とはいえ、経費を節減すると教育にしわ寄せがくる、カリフォルニア州の教育費は、諸州の中で最低のレベルだ・・・というものだ。カリフォルニア州とワシントン州は対照的な選択をした。

ともかくも、このようにして州民や住民に問いかけておけば、増税する場合も、経費を削減する場合も理解してもらえる。日本のように首長や議員任せ。増税案や経費削減案は、国民や住民の理解を得るのが難しい。次の選挙が怖い。ずるずると、いつの間にか大借金・・・。

改革しようと思えば、賛同者を集めて発案すればよい。

それには反対だと思えば、発案して同調者を集めればよい。

日本のようにお任せではないから、「政治不信」ということはない。

愚痴を言って泣き寝入り、ということもない。

もしあるとすれば、行動を起こさない自分の責任だ。

カリフォルニア州では、届け出て署名活動を始めたが署名数が足りず、州民投票に至らなかった法案が、税、教育、労働、マリファナ関連など24もあった。

提案するのも住民。決めるのも住民・・・これに勝る「民主主義」はない。

 

日本と違う

日本の場合はどうか。

ご承知の通りだ。

例えば、選挙の方法。

公職選挙法が制定されたのが1950年。アメリカ合衆国の指導下に定められたのだから、当時のアメリカ合衆国もそんなやり方だったに違いない。しかしその後、アメリカ合衆国では次々と制度を改善した。

上記のような選挙の話を日本人にすると、「20も投票項目があると、開票が大変だね」と言う。その心配はいらない。投票用紙はA4くらい。各項目の問いに対して ○ YES  ○ NO 、あるいは候補者名の前にある○を黒く塗りつぶすマークシート方式だ。それを読取機に流すとたちまち全項目が集計できる。これが10数年前は、パンチカード方式だった。彼らは絶えず工夫して前進している。

「郵便投票」も取り入れている。

ワシントン州の場合、郵便投票だけで、投票所がないところもある。投票用紙は各戸に輸送される。投票用紙には個人ごとにバーコードが刷り込んであるので、コピーを取って投票しても、読取機が2枚目からは受け付けない。

そして、投票日(投票期日)の3、4日前には、投票が済んでいない人に催促の通知が来る。それには、過去の平均投票率と、その人の過去の投票率が記載されている。

それでも、投票率は40%程度だ。確かに低い。過半数で可決だから、有権者の20%強が賛成すれば可決できる・・・しかし、それでも何万、何十万、何百万という投票数だ。統計学的には5%の抽出により95%の確率で判断できるという。何よりも大切なことは、すべての人に政治参加の機会が与えらているということだ。

いや、それよりも、議員による議決が正しい。議員は賢明で、政治のプロとして日ごろから研究し、長期的かつ冷静に判断する。住民は、訳もわからず、時の風潮に流されやすい。

さて、どちらがまともなのだろうか。

ところで気になるのが、郵便投票だ。

投票用紙そのものが、各人に郵送される。それだと、他人の投票用紙を買収する違反はないか・・・恥ずかしいと思ったが、質問してみた。

返事はこうだ。そんな問題はない。

本当かなと思ってしまう。

彼らは、何事であれ、YES  NO をはっきり言う。それが市民の責務であり、「自由」の証。それを金に換えるのは、あるまじきこと。

それは建前でしょう・・・ついつい、そう思ってしまう。

彼らには、「自由」獲得のため苦難の歴史がある。投票用紙を売ることは、「自由」を売ることなのだ。

そう言われても、納得しかねる。私は、ひねくれているのだろうか。

日本でこんな話をすると、議会はいらないね、と言う。

議会がいらないことはない。議会だけで決めることも可能だ。要は、議会が謙虚なのだ。日本でもそうだ。たとえば町内会。これは重要だ。役員だけで決めるのはいかがか。全員を集めて相談しよう・・・という話になる。これと同じだ。議員には議員の仕事がある。政治のプロとして、行政の全般や役人の仕事を監視し、世論をリードする役目がある。

自治体に勤める職員は、住民投票や議会で決まったことを忠実かつ効率的に実施する。それが仕事だ。まさしくpublic servant(公僕)だ。

日本は、「お任せ」の政治。四年(六年)に一度、お任せのために選挙をする。そして多くの議案は役所が作成して、議会へ提案する。提案された議案はほとんど可決される。

ひょっこり地方議会の傍聴に来た住民が、帰りがけにつぶやいた。

『まるで「高天原」ですね』

議会が、市民とはかけ離れた、神々の世界「高天原」だと言うのだ。

○自由自治の原点

「市」その1

カリフォルニア州の州都はサクラメント市。

その東隣のアーデン・アーケード地域Arden Arcadeが、2012年に「市」になろうとして住民投票を行った。しかし、反対が多くて市になれなかった。

と言えば、町村合併をして市になるのに失敗したかと思われるだろう。

そうではない。地方行政の仕組みが、日本とまるっきり違うのだ。

カリフォルニア州の全域が郡countyに分けられる。しかし、郡の中で「市city」になるのは、その地域の自由だ。サクラメント郡内にはサクラメント市をはじめ8市あるが、まだ「市」になっていない地域がたくさんある。日本のような「町」や「村」の制度はない。

アーデン・アーケード地域で「市」設立の先頭に立ったのは、ジョエル・アーカーさんだ。彼は、『郡庁は我々の地域に目を向けてくれない。市になって、自分たちで住みよい町づくりをしよう』と呼びかけた。同時に彼は、議員に立候補した。市になれば、彼が市長になる(議長が市長になる)予定だった。

しかし、できなかった。

なぜ、住民の賛成が得られなかったのか。

一番に考えられるのが、財政問題だ。

住民の判断材料に、専門機関の調査結果が出ている。財政の視点から見た市の実現性について、「可能」、「可能と考えられる」、「可能性なし」の3ランクに評価した場合、この地域は「可能と考えられる」のランクだった。市になるとある程度、増税を覚悟しなければならないということか。

市になるためには、郡から権限や財源が分与される。その調整が必要だ。市庁舎などの初期投資や人件費などの必要額を住民の財産の評価総額で割り、資産税を算出する。消費税の一部も財源になる。結局のところ、地域の経済力や将来性の如何にかかってくる。

そして、住民投票で賛同を得るためには、たくさんの協力者や運動資金が必要だ。それも成功のカギになる。ジョエル・アーカーさんを知る人や道行く人に尋ねた。ネット上に論評もある。私の英語力の問題もあり、真実のところは分からない。

 

「市」その2

このアーデン・アーケード地域の東隣りに、ランチョ・コードヴァ市Rancho Cordova Cityがある。工場の集積地もある。2000年に市となった。住民投票で可決したのだ。

市になってどうなったか。

市は独自の政策を進めている。

例えば、“Growing Strong Neighborhoods”のスローガン。少額だがコミュニティーへ補助金Micro Grant Programを出して、近隣総出の清掃活動や落書きの消去を呼びかけている。ネット上に、清掃活動の前と活動後の写真を紹介している。実際に街はきれいに感じた。

さらに、地域安全のため“Neighborhood Watch”のグループづくりを進めている。日本の地域防犯組合のようなものか。

そして、いろいろな分野でボランティアを募集し、 ”Have a Heart, Donate Smart” と寄付を呼び掛けている。

また、“Where Your Tax Dollars Go“と題して、税の使い道を動画で解り易く説明している。そしてネット上に”Town Hall Forum“を開き、メールによる市民討議の場を設けている。

このランチョ・コードヴァ市は、2010年に All-America City Award (全米優秀市賞)を受賞した。この賞は全米市民連盟の主催により1949年に始まった。コミュニティー単位の市民活動に取り組み、優秀な成果をおさめた市町村に贈られる。

市の中ほどに市庁舎がある。正面玄関に”Rancho Cordova City Hall” とある。「Hall は、単なる建物ではない。市民自治のシンボル的存在だ。その上にAll-America City”が表示され、その記念の旗が堂々と飾られていた

片や、市になれなかったアーデン・アーケード地域は、引き続きサクラメント郡”Sacramento County Administration Center” の統治下に置かれる。「Administration」とは、行政とか管理を意味する。自治する場の「Hall」とは意味合いが違う。市民自治のない地域は一律的に「Administration」される。地域の思い通りにはならない。自分たちで町づくりをしようと立ち上がったジョエル・アーカーさんの思いが分かる気がする。

市民が一体となって町づくりを進めるランチョ・コードヴァ市。それと隣り合わせのアーデン・アーケード地域。これも「自由」の現れなのか。

  

   

「市」その3

USAで「市」を訪問すると、まず冒頭で市の自慢話を聞くことになる。

「我が市は何年に設立された」

上述のように、市になるために苦労する。市になっても、苦労する。その分、市民は「市」に誇りを持っている。

カリフォルニア州モントレー郡のマリーナ市Marina Cityを訪れた時もそうだ。同市は1975年に発足した。しかしそれまでに二度も、「市」の設立に失敗している。

マリーナ市は、市独自の政策を進めている。

人口約6000人。太平洋に面して観光客が多い。ホテル税を払うのは観光客だ。消費税も観光客が払うウエイトが高い。そこで、ホテル利用税を2%、消費税を1%上乗せして、それを財源に警察、消防、緊急対策、街路修理、公園維持、コミュニティー振興などの充実を図る。2010年の市民投票で決定して5年間実施した。引き続き10年間、実施しようというもの。期限切れを前に、2014年の中間選挙に併せて市民投票にかけた。

町で会った事業家は、元に戻して欲しいように言っていたが、二案とも70%超の賛成で可決した。

町を見渡すと、Transit Exchange(バスセンター)は広くて新しく、ゴミひとつ落ちていない。警察署と消防署が併設され、真新しい消防車が配置されていた。それに比べてCity Hall(市庁舎)は、木造平屋建ての、いたってコンパクトなものだった。

   


日本の場合

日本の場合はどうだろう。

日本には、求めずとも、心配せずとも、初めから市町村があった。

明治の初めに、日本中に隈なく市町村が割り振られのだ。

そして、たいていのことが国の法律で決まる。法律の実施に当たるのは地方自治体。地方自治体で独自に条例を定めることができるが、その範囲はごく狭い。

税収全体の七割が国へ集まる。主要な所得税や法人税などは国税だ。しかし、使うのは地方自治体の方が多い。国と地方の歳出全体の七割になる。国から地方自治体へ、交付金や補助金などで配分されるからだ。

このようなことから、日本は中央集権国家と言われる。

そして、この日本の中央集権体質について、いろいろな問題が指摘される。

その反省から、分権化が叫ばれて久しい。

しかし、分権化は遅々として進まない。

この際、集権と分権の基本を掘り下げてみてはと思う。

日本はなぜ、中央集権の国になったのか。

アメリカ合衆国やスイス連邦など国々は、なぜ地方分権なのか。

そして、「民主主義」とはどういうことなのか・・・。

  <ご参考> アメリカの政治を垣間見る その1

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