抜粋・「地方自治を確立する会」杉本武信

 
 シリーズ 22  

 
  志路原川自然郷    ・

  * 地域にお伺いした折に取材したものです。地域外の者が適宜に地域を紹介することをお許しください。


  川の王さま  オオサンショウウオ  




























 平成17年の14号台風で
  オオサンショウウオも災難

 志路原川の支流、浄土寺横の公園を流れる大口川
 洪水でオオサンショウウオの穴が埋まりました。
 オオサンショウウオは穴の手前で立ち往生
 穴の中には、大切な卵が・・・卵は、一刻も早く新しい水を入れて酸素を供給してやらなけければなりません。

 それを見つけた双葉保育園の保育士さん
  (石垣と草土手の境目の水の中)
 三ちゃんs村の村長さんに連絡して、土砂を除去してもらいました。
 すると、オオサンショウウオは、小さな目に涙を浮かべて穴の中へ入っていったそうな・・・・
 卵の無事を祈るばかりです。



 オオサンショウウオ
     イギリス BBC放送が取材

 志路原川の支流 大口川

 コンクリートの壁の下に穴があって
    その奥が オオサンショウウオの すみか
   建物の中にカメラがセットされ、
      卵を産み、守る姿が」  
        撮影できるようになっている

  その様子は、この前のNHKのTVで
      放送されました

  イギリスBBC放送は、
      科学的な題材に取り組むことで有名
        NHKでもよく放送されます

 



 イギリスにも、10cmくらいのサンショウウオの類がいるそうですが、
 オオサンショウウオは「生きた化石」とも言われ、
    日本特有で、特別天然記念物


       
               せき
       志路原川の堰 ・・・・・ 海応寺 (吉川元春館跡展示室「戦国の庭歴史館」の近く)

          さすが、志路原はオオサンショウウオの里
                   これなら、魚もオオサンショウウオも楽々と上れます
   (オオサンショウウオが苦労してコンクリートの堰を越えているビデオがありました。)


 平成19年12月
 30年にわたり、志路原川でオオサンショウウオの観察に取り組み、
 その研究の中心になられた 安佐動物公園 桑原一司 さんが、
 この度、広島大学から、博士号を授与され、お祝いの記念講演がありました。

      

            <お話を、私なりに要約させていただきます>
   ・ オオサンショウウオは世界最大の両生類(蛙、イモリなどの仲間)
   ・ j人類が猿から分かれて進化したのが500万年前、
     オオアサンショウウオは3000万年前から進化せずに・・・・「生きた化石」と言われる
   ・ 生息地は、日本でも、中国山地から近畿の山地周辺に限られる・・・・日本列島の成り立ちとも関連がある。
   ・ 大きいもので150センチ以上、80才から100才のものもいるようだ
                        人類と同じように、18才頃から繁殖を始める
   ・課題は、どのようにして繁殖するか?
           長い間、謎とされてきました。
     ・・・・・動物園として、他の動物園にないテーマとして取り組む
                サンショウウオの繁殖行動を取り上げ、34年前から、
                      志路川で観察を始める
   ・研究結果
       川岸の穴に、雄のオオサンショウウオが主として棲みつく。
       他の雄がその穴に入ろうとしても、攻撃して排除する。
       ところが、9月の初めごろの繁殖期には、雌が穴に入ると、主の雄は受け入れ、腹やお知りなどを押して産卵を促がす。
       雌は、蛙の卵のような連結した白い卵 約2000個を産む。
       不思議なのは、そうなると他の雄が入ってきても、主の雄は攻撃しなくなること
       ・・・・・・先生のお話では、雌がお尻から特有の匂い(フェロモン)を出して、雄の攻撃性を麻痺させるのでは・・・・・・
       穴の中は、1匹の雌と数匹の雄のオオアサンショウウオで大騒動。そして、卵は、雄の精子を受精する
       その後、主は攻撃性を取り戻し、他を排除して主1匹で卵を守る。
             ・・・・・・・・・・

    ・このような研究も、地元の支援があればこそ・・・・・・・

 お祝いの記念講演の当日は、地元三ちゃんの主催で里山の感謝祭
       双葉保育園園児のお遊戯
       大正琴の演奏   琴友会
       上石神楽団、子供神楽会の神楽

     そして、里山のごっつおう会など


      
       わら
  藁草履を編む少年・・・・・
    第3回 紅葉まつり 「里山の感謝祭」 
     主催・三ちゃんS村(原東生活改善センター) 
      山の自然学校  わら細工教室




















    平成21年10月
     第4回 紅葉まつり      原東生活改善センター

                午前中は講演会と園児の歌、午後は芸能発表や神楽

 講演 「つぼかび病とオオサンショウウオ」 
               安佐動物公園 副園長 桑原一司 博士 
   
<講演の要旨>
 蛙やサンショウウオは両生類
 両生類は、毛や甲羅やうろこがないので、肌が弱く、感染しやすい。
 今、アフリカに発生した新しいつぼかび病が、ペットの蛙を通じて世界に蔓延しつつある。        ・
 これまでにも何度か、両生類はつぼかび病に感染したが、免疫ができている。
 新しいつぼかび病には、まだ免疫がない
 日本に上陸すると、蛙やサンショウウオが絶滅する危険がある。
 そのため、ペットの蛙を戸外に放さないよう呼びかけている。

  ・・・人間に感染することはないそうだ。
  ・・・新型インフルエンザと同じ問題のようです。

                                   シリーズ 4 オオサンショウウオ
 

  オオサンショウウオの名前の由来    

  
子どもの頃に聞いた話では、山椒の実の匂いがするので、山椒魚と言う。
  しかし、そんな匂いを感じたことはありません。
  桑原一司先生に聞くと、サンショウウオが暴れるときに出す白いねばねばの液が、          
 山椒の匂いがするそうです。
  ある人は、山椒の枝を近づけると、サンショウウオが穴から出て来ると言う。

 
  オオサンショウウオは、別名、「はんざき」とも「はんざけ」とも言います。
  口が顔の半分まで開いているので、「半裂け」と言うようになったと聞いたことがあります。
  ところが別の説で、サンショウウオを縦に半分に裂いても、別々に元通りに再生するから
 「半裂け」と言うようになったとか。
  桑原先生の話では、そんなことをすれば直ぐに死んでしまう。傷に弱い。生まれて
 間もない頃は、手足がとれても再生することはあるそうです。

  
古来より、山椒の実のようにピリっとする物を「はじかみ」と言い、「はじかみいを(魚)」が
  なまって「はんざけ」と言うようになったとか。
                                   
      オオサンショウウオ



 平成22年8月

   

 第13回サンちゃんと友だちになる会
      ふるさとの川まつり

 戦国の庭・歴史資料館横の志路原川は、ご覧のように川遊びが楽しめるようにつくられています。
 大勢の子どもたちが川へ・・・魚を獲ったり、筏(と言っても、ハッポウスチロールと合板製)で川下り。
 暑い。大人は、子どもたちを羨ましそうに見ていました。


      

 何年ぶりでしょうか。オヤニラミムギツナに出会いました。
 川遊びで、子どもたちが網ですくったもの。
 どちらも、環境の悪化で少なくなりました。
 オヤニラミは、絶滅危惧種に。名前の由来は、オスが卵を守り、面倒をみるから。
   写真のように、えらの辺りに目玉のようなものがあります。
   それでオヤニラミと言うのかと思っていましたが・・・それは、目ではないようです。   オヤニラミ

 ムギツナ
も、オヤニラミと同じような川に棲む。オヤニラミと共生関係にあるようです。
   同じように少なくなっていると思う。名前の由来は、魚体が麦の穂に似ているからだと思うのだが… ムギツナ

 オヤニラミやムギツクは筏津の川にはいません。水が冷たいからか、少し淀んだ所に棲むためか・・・可愛川は大朝から川下に。志路原川は、このように志路原から。大朝や新庄、八重で川遊びしていて、瀬よりも流れの緩い岸辺でよく見ました。
 そのほか、ハヤやゴリなど・・・すくった魚たちは、川に返してやりました。
 あ、それからオオサンショウウオも、30〜40センチ大のものが2匹いました。
 自然の川に戻せば、自然に魚たちは帰ってきます。


吉川氏城館跡
   
 平成18年秋
 姿を見せた
  史跡吉川元春館跡
     ガイダンス施設
       (豊平は海応寺)

  中世の雰囲気

   格子
   屋根
    その時代に瓦はない
    板葺きを模して
        スレートで





  展示室の中央に配置された
                吉川元春館跡 復元模型

       

        手前が今も残る石垣   左の台所と右の庭園は復元されています。

  

 吉川戦国まつり 

       

    吉川家は、関が原の戦いの後、家康により岩国へ移封
        岩国藩鉄砲隊   その保存会の演武
           「ズドン!」 あたりに轟きわたりました
             なかに、女性の隊員2名
                火縄銃のためか、小雨の中、テントの下で・・・・



      

          やかたあと
     吉川元春館跡   復元された台所の かまど

     平成17年ごろ
       NHK 大河ドラマ「功名が辻」の頃のもの
                黒い割れ目が焚口
                   TVに出てくるかまどの口は、少し広いようですが・・・・
            お千代さんじゃないけど、笹の甘茶といただきました


      

  原東の大花田植          平成19年6月
             地域ぐるみで伝統を継承・・・・周りも田園そのもの


     

      原東の大花田植
            苗運びの天秤が懐かしく、思わずシャッターをきりました。



          
                    頼光ら主従は、酒呑童子に捉えられ、岩屋の近くで布を洗う紅葉姫に会う

        上石神楽団   「大江山」  平成20年4月13日 
上石神楽団 創立百拾周年祭

 
源頼光主従は、山伏に変装して、丹波の国は大江山の酒呑童子ら鬼退治に旅立つ。
 山中で道に迷い、紅葉姫に会う。                                   きぬ
 紅葉姫は、都から連れ去られ、その日は、いつものように、殺戮により返り血で染まった鬼の衣を洗濯していた。
 紅葉姫は救出を願い、頼光らを案内して、酒呑童子の岩屋へ・・・・・・


旧原東小学校














学校跡に建つ石碑



 
名田富太郎先生の書による
  
原東小学校跡の記念碑

 名田先生は、この小学校に長年、勤務され、
 その間、志路原に住まれました。

 記念碑の説明版によると、
 この小学校も、次々と名前を変えています。

 明治7年  立本舎
 明治9年  志路原学校
 明治12年 志路原小学校
 明治19年 平南小学教場
 明治20年 志路原簡易小学校
 明治24年 
成志尋常小学校
 大正8年  原東尋常小学校
 昭和3年  原尋常高等小学校志路原分教場
 昭和16年 原国民学校志路原分教場
 昭和22年 原東小学校
 昭和44年 豊平東小学校原東教場
 昭和46年 豊平東小学校へ統合






 豊平東小学校
  校舎    昭和45年建築
  体育館  昭和47年建築


 (私立)双葉保育園   

















 旧原東小学校下石分校
 今は、生活改善センター、農機具倉庫、グランドゴルフ場

















豊平は志路原  浄土寺の山門

      茅葺屋根の改修

 この伝統のお仕事は、大朝は間所の井野文之助さんと奥様のチヨメさん
 そして、新たに息子のさんも加わり一家で作業。
 このスナップは10月中旬のもの。すでに完成しています。

 これを、RCCテレビが取材
  
平成17年12月5日(月)イブニング・ふぉー
  夕方4時10分から  「広島ジャパネスク」で

   かえってきた つりがね 

     

     志路原の浄土寺の釣鐘
 
 1942年に、兵器を製作する原料にするため、供出させられました。
  鉄砲の弾にされたのかと諦めかけていたところ、1994年に滋賀県の工場から連絡があり、現存していることが分かりました。
  翌年、町をあげてその釣鐘を迎えました。
  その釣鐘は、戦争の悲劇を知る証人として、「平和を願うつり鐘」と名づけられました。
  浄土寺の本堂の廊下に安置されています。
     
双葉保育所の園児の鼓笛隊が演奏する中、保護者が釣鐘を担ぎ、小学生が前を引く。
      戦争で、肉親を失った方も多い。
      出征した肉親が帰ってきたような気持ちで、涙ながらに迎える人もありました。
      お爺さん、お婆さんは、釣鐘をさすりながら、「鉄砲玉になって、人を殺さずに済んでよかった。」
      浄土寺の鐘の音は、村人の生活に欠かせないものでした。
      被爆してやっとの思いで帰られた娘さんが、
      うわごとに「ゴ、ゴ・・・」。
      付き添う人が「ゴーン、ゴーン」と言うと、その娘の顔がほころんだ。
      そのようなことから、戦後間もなく新しい釣鐘がかけられました。

  このことを子どもたちにも解かるよう末永く伝えようと、
  絵本「 かえってきた つりがね 」(作・児玉辰春 絵・長澤)が出版されました。
  図書館、公民館にあります。 



        

 広島市内の清風幼稚園の園児が、豊平は志路原の浄土寺1泊の合宿

 郊外の、自然豊かで、涼しい北広島町の良さを知っていただければ・・・・
 年長組だそうですから、一生、楽しい思い出となることでしょう。

 と同時に、平和の有難さを感じました。
 話に聞いたことですが、ふと、連想しました。
 ・・・・・・戦時中、学童疎開でお寺のお世話になった。親が恋しく、空腹で苦労した・・・・・・


    

 志路原の熊野新宮神社の拝殿上座の天井画
   80枚の四季の花の絵
      ・・・・・志路原の福永眞子さんの作で、平成21年に当神社へ寄贈
   神主さんが女性で、拝殿は色鮮やか。さらに、花の天井画で、一層華やかです。


  原東農業集落排水処理施設
                   (下石)



    

      
ソバの刈取りが始まりました。(平成22年10月7日・豊平の海応寺)

    
新ソバが食べられます・・・・豊平どんぐり村 秋の陣


        
                            農道の法面に設置(志路原の国道433沿い)
 今や、草刈 真最中 !
 ところがこの法面は、草刈不要
  「新・防草シート」・・・・・田の法面、お庭などの雑草対策。詳しくは   「新・防草シート」へ


       
 豊平は吉川元春館跡を目の前のはあもにい(海応寺)
                       原さんと境さん
    いまや 老舗のクッキーメーカー
           コツコツ続けて十数年  地道に頑張っています
                  手作り工房 はあもにい 


チタンによる造形

          
 
        
 株式会社 響コーポレーション

        
               国道433号線沿い  志路原と中原の峠道上に
                  但し、このモニュメントはステンレス製

 チタンは、鉄 Fe、 金 Au 銅 Cu などと同じ元素(元素番号22 元素記号は Ti )
 チタンは、軽い さびない、強い、熱にも強い、汚れにくい、白く美しい光沢をもつ
                そのため、航空機などで使われる
 響コーポレーションでは、その性質を生かして、建築物、モニュメント、装飾品、美術工芸品、陳列ケースなどを手がける日本でも数少ないメーカー
 広島市内から、広い敷地を求めて、20年前に豊平のこの地へ。 世界に通じる企業が、ここにもあります
                                        株式会社響コーポレーション


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