シリーズ 1 
   神楽        よもやま    


                       適宜、加除訂正しますので悪しからず・・・・
                     間違いがあれば、ご連絡ください
                     あら筋はともかく、部分的な筋書は、神楽団によって異なることをご了解ください


     
                         こうじんさい
         宮瀬神社 秋の大祭  荒神祭
                  農家は囲炉裏の火を絶やさない
                  お祭りに皆が神社に集まっている最中に火災が発生しては大変
                  神楽の前に、荒ぶる神にお祈りした・・・しばらくお静かに

神降し


     まずは、神楽殿に塩をまいて清める。その儀式舞を、「潮祓」と言う。
     四方を清め神をお迎えする「四方払」の舞とも言う。
     そして次に、天から舞殿へ、神に降りていただく儀式舞を「神降し」と言う。
     別々の舞かどうか定かでない。
     神楽団により、神楽を始める最初の舞を「潮祓」とも「四方祓」とも「神降し」とも言うようです。
     別々に舞う神楽団があるかどうか知りません。

      神様に五穀豊穣を感謝して神楽を奉納するため、神様に、天より降りていただき舞殿にお招きする

        
                                                            
 たちおさめ
            
筏津神楽団  「 神降し 」   平成19年12月1日 筏津神楽団 刀納め

 (待ち歌)
   さんよう さんよう さんよう さーと 色の良きもの 柑子(こうし)橘(たちばな) 濃い紫の 袖にや紅(くれない) はりやとうとう
   は、濃い紫の 袖にや紅 はりやとうとう
 (舞歌)
 一 さんよう さんよう さんよう さーと 神殿(こうど)の内を 申し卸して 御座清むる者あれば 神の守(も)ーり 神の守ーり 
   宮山の真榊(まさかき) 桃(もも)浦の塩を 祓へや

 二 さんよう さんよう さんようさと 神殿の内を 三度まで 申し下して 御座清むる者あれば 神の守(も)り 神の守り
   宮山の真榊(まさかき) 百(もも)浦の塩を 祓へや

 三 さんよう さんよう さんよう さーと 天に取りては 日りん月(がち)りん 下に取りては 地神の神まで 
   申し下ろして 御座清むる者あれば 神の守(も)り 神の守り 宮山の真榊(まさかき) 百(もも)浦の塩を 祓へや

 四 さんよう さんよう さんようさと 天地陰陽 内天宮殿 天下泰平 国家安全 村おだやかに 
   申し下ろして 御座清むる者あれば 神の守(も)り 神の守り 宮山の真榊(まさかき) 桃(もも)浦の塩を 祓へや
     (拝み舞、膝折の舞 共に同じ歌)

 一 西の海 清きあら塩 汲み上げて
   は、神殿の内を 祓い清むる
     (最後の舞は鬼囃し)
        (筏津神楽団・舞言葉帳から・・・・神楽の歌や言葉は、口伝えで伝えられました。それを近年になって書き留めたので、
         定かでないところがあります。) 

神迎え


        

           枝之宮神楽団   「 神迎え 」  平成19年  枝之宮八幡神社

        四季の神を舞殿に迎えする。

 (出歌)   よろずよと お祈り納むるこの村の 悪魔は寄せじと 祓い清むる
 (舞歌) 一  しめの内 まだ入りまさぬ神在れば 小金のしめを 超えてましませ
      二  幸いよ ここも高天原なれば 集まりたまえ 四方(よも)の神々
      三  春霞 ものの恋しはといつべし もののつはるを 見るにつけても
      四  夏山の 森のこずえは高けれど 空にて蝉が 声を現わす
      五  秋鹿が 身をば紅葉にやつせども 恋路となれば、声を惜しまず
      六  冬来れば 青葉山にもさも似たり 昨日はしぐれ 今日は初雪
      七  東青 南赤しに西白し 北紫の 染め分けの国
      八  出雲には
 神は在れども鈴がない かわらけ鈴で 神を遊ばしょ
      九  あらうれし あら喜ばし われはこれ  舞い奉ろう 栄えましませ
               (筏津神楽団・舞言葉帳から・・・・同上) 


        

          筏津神楽団   「 神迎え 」  平成19年  筏津大歳神社 平成22年秋祭り



  

     田尾組神楽団   「 四 神 」    平成22年度芸北神楽研究発表会

   
春、夏、秋、冬の四神に成り代わって四人の舞子が、四季を祝い、神楽の舞い始めを清める。
                  よったり
 神楽の名前は、「神迎え」、「四人舞い」、「四神」とありますが、いずれも四季の歌があり、舞は後半で動きが活発になり、四人が交差したり入り組んで神楽の雰囲気を盛り上げます。
 歌いながらリズミカルに舞う。舞い手の気持ちが合うと楽しい・・・舞って面白い神楽と言われます。

 八つ花 ・ 四剣 


         

           川小田神楽団   「 八つ花 」  平成21年 芸北神楽研究発表大会

 別名、「四剣」とも「太刀舞」とも言います。
 四人が白衣に袴で太刀を持って舞い、太刀を打ち交わして舞うものと、太刀の先を持って四人が輪になり、二人持つ太刀の下を残る二人がくぐりながら曲芸のように舞う・・・実際に見ないと、説明が難しい・・・ものの二種があるようです。
 前者の舞は「四剣」と言い、後者の舞は、くぐりあううちに花弁のようになるので、「八ツ花」となったのでしょう。
 刀は切れないものを使いますが、切れなくても叩いたり、突いたりする危険があり、四人の息が合い、緊張を要します。

 たくさ

手草

      二人が狩衣姿で、手に笹の枝を持って舞う。
      神迎えと同じように、神を迎える儀式舞。
      「手草(たぐさ)」とは、歌ったり舞ったりするときなどに、手に持つもの。神楽の採り物としての笹などのこと。
      古事記に、「天の香山の小竹葉を手草に結ひて」とある。
            出雲神楽に、「手草」の演目がある。
            出雲市の大土地神楽保存会によると、「七座神事の一つであり、東・西・南・北・中央・黄竜の六方を、
            手草を持って清め、神座の奉納するために舞うものです」とある。
 
         

           高野神楽団  「 手草 」  平成18年 高野八幡神社秋祭り

胴の口

    神様を迎え、さあ、いよいよ、神楽が始まる。
     いわば音合わせ、歌合わせのようなもの
              ・・・・神楽の囃しや歌が一通り奏でられ、神楽の基礎とも言えるもの
     段々と盛り上がり、太鼓打ちは互いに座を替え、舞を加え、佳境に入る。
     今宵の神楽も楽しいぞ !
          

        宮迫神楽団  「 胴の口開け 」 平成18年 からしろ館竣工式
 


  
     雲月女性神楽同好会   「胴の口開け         ご紹介 雲月女性神楽同好会
           「胴の口」は、神楽の基礎・・・・美しい声が響き渡りました

                2005 芸北神楽フォーラム 
                        〜神楽、 明日へ〜           主催・広島県芸北地域事務所

 お敷舞 ・


    

      溝口神楽団   お敷舞 」 平成20年10月26日 吉川戦国まつり
                                (吉川元春館跡)
            お盆を両手に乗せて、遠心力を利用して落とさぬように
                曲芸のような舞
                    さらには、お盆の上に杯(さかずき)を乗せることも・・・
            神に御酒を奉げる神事を神楽にしたものであろうか
                同じように、 ご座舞 」があります
            神をお迎えするため、ござを敷いて準備する
                    ・・・・この神事を神楽にしたものでしょうか?
                ござを縄跳びの縄のように使って飛びながら舞う
                        かなりのジャンプ力が必要

 尊神 ・


            
   
               移原神楽団  「 尊神 」     移原神社秋祭り

        
芸北地域のみに伝わる神楽  神様が一人で舞う
          神楽の由来や物語が解からない・・・・ご存知の方があれば、教えてください
          神様だが、舞は荒々しい・・・・神楽のはじめ頃に舞う・・・悪魔祓いの舞という説がある
          首をしきりに振る神楽団もある  

 ななよ

七代

                            いざなぎ       いざなみ
   神が高天原に住まわれて七代目、兄の伊邪那岐神と妹の伊邪那美神の代
              とよあしはら                  よみ
    国づくりは進み、豊葦原の中津国は治まったが、海原の黄泉の国がまだ治まっていない。
    伊邪那岐神は海原へ向かう。
    すると、大海原の底に棲む大悪龍王が現れて行方を阻み、
    数万の悪龍を引きつれ、津浪を起こし、伊邪那岐神を追い返すと言う。

     

         民人は、国造りの進展を祝い、酒盛りを始める
                  ・・・・そこへ大悪龍王が出現。 伊邪那岐神は民人を避難させ、対決する。

          高野神楽団  「 七代 」  平成19年12月1日 筏津神楽団 刀納め

天岩戸

                               あまてらすおおみかみ  すさのおのみこと
  伊邪那岐神と伊邪那美神の子、  天照大神と 弟の須佐之命の代のこと
                                                         
  はたや
  須佐之男命の仕業が悪く、 畔や樋を壊したり、溝を埋めたり、ついには、馬の皮を剥いで機屋に投げ込み
                                 
こも       とこやみ
  機女が驚死するに及び、天照大神は天の岩戸へ籠られ、世は常闇となった。

                    やおよろず
  暗闇に乗じて悪事を働くものが出て、八百万の神々は困ってしまった。
               こやねのみこと  ふとだまのみこと
  そこで重臣の児屋根命は  太玉命を呼び、相談する。


     
 突如として、夜は真っ暗闇になった

 
皆既月食
 
古代の人々にとって大変な驚きだった

  
神の怒りに触れた
              
しま
  
太陽を失っては、世のお終いだ

 
 神々は、暗やみの中を
    手探り、足探りで集った


 
 暗やみの中で、
  
児屋根命児屋根命はぶつかる
    
   
何故だ、どうしよう・・・

     二人は真剣に相談する


  雄鹿原上組神楽団  「天の岩戸」  平成21年6月 芸北神楽研究発表会

  ながなきどり
  長鳴鶏を集めて一斉に鳴かせば朝が来たと思ってお出ましになるのでは・・・
  あまのかぐやま
  天の香具山から真榊を取り寄せ、三種の神器を飾り、八百万の神々が楽を奏で、幣を捧げてお祈りしてはどうか。
  しかし、御戸が開く様子もない。
        
うすめのみこと
  されば、鈿女命に、千代の御神楽を奏でてもらってはどうか・・・・・
  鈿女命が言うに、千代の御神楽を奏でるうちに、天照大神がわずかでも御戸をお開きになったら、
        
たちかろうのみこと
  力持ちの手力雄命が岩戸の側に隠れていて、とっさに岩戸を引き裂き開いては・・・・・・

                  

          
溝口神楽団  「 岩戸 」  平成18年11月19日 宮瀬神社 太刀納め神楽大会
                                                        ご紹介 溝口神楽団
   鈿女命は、思いっきり楽しく面白く舞った。
   着ているものも、脱げてしまい、高天原は大賑わいとなった。     
・・・・余談=ストリップの元祖と言われる
   天照大神は、世は暗闇のはずなのに、何んで楽しそうに騒いでいるのかと不思議に思い、
   岩戸を少し開いて、外を覗かれた。
   ここぞとばかり手力雄命は、岩戸を力一杯にこじ開け、天照大神を導き出し、世は明かりを取り戻した。
   そして、須佐之命は、遠き根の国へ追放された。

      

        
蔵迫神楽団  「 天岩戸 」   平成19年6月16日 千代田神楽競演大会
                                              ご紹介 蔵迫神楽団


  天照大神は、なぜ、岩戸に入ってしまわれたか。    
    
・・・・・・須佐之命が暴れて、悪業を働いたから。

  それでは、須佐之命が、なぜ、暴れて悪業を働いたのか。    
    
・・・・・・天伊邪那岐と伊邪那美に三人の子、天照大神と月読命と須佐之命があった。
         天照大神には高天原の統治が任され、
         月読命には夜の国の統治が任され、
         
須佐之命には海原の統治が任されたが、  
         須佐之命は、その任が不満で拒否して、高天原を震撼させた。
        
天照大神は 「須佐之命は高天原を奪おうと思っているのだろう」 と疑ったため、須佐之命は、                                                     うけひ
         「そんな邪心はない、それを証明するため、宇気比で決着をつけよう」と提案
         二人は、神に誓い、宇気比を行ったが、      
         
須佐之命が勝って、ますます心がおごり、乱暴を働くようになった。 

  須佐之命の悪業とは・・・・・
        
田の畔を切る   田の溝を埋める  田へ水を引く樋を壊す 
         他人の田に種を蒔く  他人の田の稲を刈る
             くそ    ・・・・・・稲作民族にとって、一番の重罪とされた。
         神殿に糞をまき散らす   神に奉る衣を織る機屋へ馬の皮を剥いで投げ込む
                  ・・・・・・権威や秩序を乱すもので、やはり重罪とされた。

  須佐之命は、その結果、高天原を追放されます。

     
神楽団によっては、最初に、須佐之命が荒々しく舞い、
         馬の皮を機屋へ投げ込む場面を演じるところがある。


  
この神話は、稲作農民に対して、
         太陽のありがたさを再認識させると共に
         稲作のルールを守り、世の秩序を守るよう戒めた
  まさに稲作民族の源を伝えるものです。


     
何年かに一度訪れる日食は、古代人にとって驚きで、岩戸の物語の発想につながったのでは・・・・

           
余談ですが鈿女命の千代の御神楽は、いわばストリップの元祖と言われる。
              空っぽの槽の上で、槽を踏み鳴らしながら踊り狂い、乳は丸出しになり、腰巻の緒がほどけて
              局部にまでも垂らし、八百万の神々はどっと笑い、大いに盛り上がったそうだ。

                                   
・・・・・・・・・・というように 「古事記」 に書いてあります。

  
 この神楽は、神舞、翁舞、姫舞、鬼舞など神楽の全ての舞法が含まれており、演舞の上からも大切な舞とされる
              


    天の香具山から真榊を取り寄せる際に、それを邪魔する悪神とのいさかいを演じる
    「 天の香具山 」(中川戸神楽団)があります

 やまたのおろち

八岐大蛇

  たかまがはら                      ひのかわ                         はし
  高天原を追放された須佐之命が、失意のまま出雲の国簸の川にやって来たところ、川上から箸が流れてきた。
  人が住んでいるに違いないと川をさかのぼると、老人夫婦が娘を中に置いて泣いていた。
   須佐之命が、「なぜ泣いているか」 と尋ねると
                
あしなづち      てなづち    くしなだひめ
  翁が言うに、「自分は足名椎、妻は手名椎、姫は櫛稲田姫という。
           簸の川から樋で水を引き、広大な田畑を拓き、日昇りの長者とまでも言われるようになったが、
           自分たちには八人の娘がいたが、既に七人が、毎年一人づつ、
           簸の川の川上の天が淵に住む八岐大蛇に呑み取られ、
           今年もこの櫛稲田姫が呑み取られんとしている。
           もし拒否すれば、大蛇は雷雨をおこし、地をくつがえし、田畑はことごとく荒れ果て、
           生きるもの全てが命を絶たれる・・・・・・」 と。
  須佐之命は、「心配するな。
           まずは、姫を自分の妻に捧げよ。
           そして、八間の垣を結い七尺の棚をつり、八つの酒樽を置き、棚の上に姫を立たせておくと
           姫の姿が酒に写り、姫と間違えて飲み干すだろう。
           大蛇が酔い伏して眠っているところを退治する。」  と言う。
  老夫婦は言われるように準備。
  そして、老夫婦と姫は親子名残りの舞。
  大蛇は、酒に酔い、大暴れ、そして眠りこける。
  須佐之命は、作戦通り大蛇を成敗する。   
 むらくものつるぎ
  大蛇をズタズタに切ると、刀が出てきた。これを、村雲の剣と名づけ、天の神に捧げた。

  須佐之命は櫛稲田姫と結婚して、一緒に住む宮を造りたいと出雲の国中を探し求め、須賀の地に宮を造った。
  そして、須佐之命は、歌を一首よむ。
                        

    「 八雲たつ 出雲八重垣 つま隠みに 八重垣つくる その八重垣を 」

  その何代か後に、大国主神が生まれた。

    
                                        絵・植野精華 製作・筏津神楽団
         筏津神楽団  「 八岐大蛇 」


           

         砂庭神楽団  「 八岐大蛇 」  平成18年2月28日壬生バイパス開通記念

         神楽といえば、「八岐大蛇」  お祝いに舞われます。


    

        加計高校芸北分校神楽部 「 八岐大蛇 」  
             
平成18年10月19日 芸北教育研究開発公開 全体会 神楽発表  芸北文化ホール


  八岐大蛇とは、なにか
       足名椎が言うに、八岐大蛇は、
              ほおずき
          「目は酸漿のように赤く、身は一つで頭が八つ、尾が八つ。
           その身には苔、檜、杉などが生え、その長さは、八谷、八峰にわたり
           腹は赤々とただれ、血がしたたっている。」(古事記)

               

                  足名椎の説明のとおりに描くと・・・・・・
                            この絵は、特別養護老人ホーム
やすらぎで、指導員さんの下書きに
                            利用者が塗り絵した紙芝居 
八岐大蛇」 の1コマです。
                  描かれた絵は、まさしく「山の峰々」です。
        
    ・・・・・・黒々として重なる中国山地の山々に、夜通し燃えるたたらの赤い火は、
             まるで大蛇の目玉のように見えたことでしょう。


  大蛇とは、中国山地の山々であるが、
      これらの山々が大蛇となって、足名椎や手名椎ら里人を襲うのは、
         洪水の際に、氾濫して蛇行する川のことではないか、と思われる

       簸の川の上流は、古代より砂鉄の産地
          真砂土を川に流すと、比重が重い砂鉄が溜まる。
          それを集め、炭火で溶かして、たたら製鉄をする。
       しかしそのため、土砂が川に流れ、洪水の度に稲田へ流れ込む。
          堤防工事のない時代だから、洪水ともなると川は低い方へ流れ、
          平野部で川はいくつも分岐して、稲田を埋めつくしたことでしょう。
            ・・・・・まるで八岐大蛇が飲み込むように。
       洪水は、毎年、台風・洪水の季節にやってくる。
          娘が、毎年一人づつ奪われる。
            ・・・・・櫛稲田媛とは、文字どおり櫛を入れる(取り入れる)「稲田」のことか。       
          稲作農民にとって、大切な稲田は我が子のような思いだったでしょう。
       稲田の米で酒を造り、酒の力で大蛇を退治する。
          そして、鉄の産物の宝刀を勝ち取り、天の神に捧げた。

   八岐大蛇の神話は、今日でいう公害問題のようなもの・・・・
       そして、稲作民族と、山岳民族の戦い


   稲作民族として重罪を犯した須佐之命が、ここでは稲作民族を助け、
       稲作民族の祖先となる。


  



  神楽 オロチ(大蛇)の語源

 ある方から教えていただきました。
 「オロチ」の語源は、オロチョン族
 オロチョン族の船が漂流して、簸の川の河口に流れ着いた。
 途方に暮れていたところ、川岸に砂鉄が溜まっているのを見た。
 彼らにはタタラの経験はなかったが、他の民族がやっているのを見て方法を知っていた。   ・
 川をさかのぼり、山岳地帯に入って炭を焼き、タタラを始めた。
 しかし、流れ着いたのは男ばかりだったから、里に出て女をさらった・・・・と。
 ・・・・なるほど。
    しかし、大陸の遊牧民族が船に乗ったのはなぜ?


 えびす

恵美須


             
                             恵美須  絵・植野精華

              筏津神楽団 「 恵美須 」

    

        田原神楽団  「 恵比寿舞 」      田原温泉 夏祭り
                        ひるこみょうじん
  雲州蘇我の御歳の宮の神官が、はるか西宮蛭児明神へ参拝して、里人に蛭児明神の由来を尋ねた。
   里人が言うに・・・・・・・
   「伊邪那岐神と伊邪那美神の子に1女3男の神があった。
    長女は天照大神、長男は月読尊で、お二人は御神徳が勝れ、光り輝き、天上に上り、日と月になられた。
    二男が蛭児尊、三男が須佐之尊である。
    
ひるこのみこと
    蛭児尊は、3歳になっても脚が立たなかった。
    ご
両親は、よくよくお考えになり、蛭児尊を樟で造った船に乗せて、海に放たれた。
    海なら、脚が立たなくとも蛭のように泳げばと、お考えになったと思われるが、そうではない。
    国を治めるには智仁勇の三徳が必要だ。
    蛭児尊は、仁徳は厚いが、智勇に疎いところがある.。
    だから、国を治めるのは無理かもしれない。
    それよりも、荒々しい海は、蛭児尊のもって生まれた仁徳をもって治めては。
    そういうことで、蛭児尊に海の事をお授けになられたのだ。
       
くすのき
    その樟の船は、摂津国西の浦に着き、永くそこに留まられた。
    蛭児尊は、徳厚く、恵みの多い神なので、恵美須と申し奉るようになった。
    そして、海には浦恵美須、家内には棚恵美須、商人には商恵美須というように所々に尊敬し奉っている。
    
    恵美須様は、時々、海に出て釣をお楽しみになられる。
    ちょうど今日は、寅の刻に、蛭児命が降臨され、釣をされるので、お姿を拝むことができるでしょう。 」


 鐘 馗 ・
 


        
                                  鐘馗大神  絵・植野精華

      鐘馗大神は、素戔尊(すさのうのみこと)の化身で、民の命を奪う疫病を退治する。
      もともとの話としては、
中国は唐の時代、鐘馗という青年が官吏の試験に落第して憤死したが、
     死後に及第の栄誉を受けたのを感激し、その霊が朝廷の守護神となり、いつしか疫病祓いの神様として
     祀られるようになった伝説に由来する

           


           八栄神楽団     鐘 馗    平成19年10月27日 大朝神楽競演大会

   

 
 このような由来から、病気と闘う神に感謝し、疫病の退散を願う神楽として舞われる
        ・・・・・鬼面は赤顔・・・・病気は熱病だろうか
  鬼は、幕に隠れたり、低姿勢で粘り強く舞い、退治しても退治してもしぶとく生き返る       
        ・・・・・治り難い病気を表現しているのか
  鐘馗大神は、手に持つ輪「ちの輪」で鬼を見すえる
        ・・・・いわば顕微鏡のようなものか


       
         幕の絵は、釜戸・・・幕の内から、隙(すき)を窺い、外へ出ようとする大疫神
                   大疫神は、村々の釜戸に押し入って、病を流行らそうとする
               

        高野神楽団  鐘     平成21年11月22日 宮瀬神社 刀納

     


   幕
の裾から外を窺い、家々の釜戸に押し寄ろうとする大疫神を、
                           鐘大臣
が出すまいと押し返す。
   ついに釜戸の煙の中から、鬼が出た。
   しかし、鬼はどこに・・・
   

   茅の輪を廻し、茅の輪で透視して鬼を捜す。
   ついに、茅の輪の先に鬼を見つけた・・・・
   大臣とは、須佐之男命のこと。
   須佐之男命が夢うつつの中で、大疫神と闘った。
           
なんじ
   鐘
大臣が「汝いかなるものぞや」と問うと、鬼は恐ろしげい声で切り返した。
         やくれい   ぎゃへい  ちはら                                 
 「我はこれ、春の疫病、夏の虐病、秋の血腹、冬のガイ病(風邪)、一切の病を司る大疫神とは、
  我がことなり」
                         
かまど
  「我この国に入り来れば、郡中村々の釜戸釜戸へ分け入って、幼き者はひねりつぶし、
                     
さか
  老いたる者は掴み裂き、
また、壮んなる者と見るからは、五臓六腑へ分け入って、
  
きも たばね
  肝の束根を食いちぎり、如何に日本が神国じゃとて、魔国になさいで置くべきか。」


   ・・・・・昔から伝わる舞い言葉だが、
          インフルエンザや癌などを思うと、医学が進んだ今日に通じるから怖い

                                     ご参考  神楽よもやま  →  馗 」


  ひみこ

卑弥呼



     
         龍南神楽団   「 卑弥呼        平成19年7月 芸北神楽競演大会
                                         ご紹介 龍南神楽団
 新作の神楽だそうです。
     卑弥呼は、中国の史書「魏志倭人伝」に紹介された
              3世紀の日本が統一されつつある時代の女王
     その時代に中国(魏)から日本へ使者として訪れ、自国へ報告した「魏志倭人伝」
     その訳文(山田宗睦著「魏志倭人伝の世界」教育社歴史新書)によると、


       「・・・・・旧(もと)は百余国に分かれ、漢の時代・・・・
        ・・・・・魏朝の今は使節と通訳をおくって通じているのは三十国である・・・・・
        ・・・・・倭国に争乱がおこり、各国互いに攻めあうこと七、八年、ついに一女子を     
        共立して王とした。名を卑弥呼
(ひむこ)と言う。彼女は鬼道にしたがい、
        それによって大衆を操作する能力があった。・・・・・卑千人が侍従し、たった一人
        飲食の世話をし、卑弥呼の言葉をとりつぐ男がいる。卑弥呼の居住する宮室は
        楼観・城柵をきびしく設け、いつも武器をもった兵士が守衛している・・・・・  
 

 創作神楽「卑弥呼」は、このような史書にのっとり、
      戦いの末、武器ではなく、鏡をもって敵を威圧し、「鬼道」を司り、帰順させ、支配下に組み入れます。
      中央の白装束 (卑弥呼は女性・・・・舞っている人も女性) が、手に鏡を持って敵を静める


  
     
このような銅鏡や、武器として使えそうにない銅剣、使途の解らない銅鉾などは、
    神器として崇めることにより、部族を統一する旗のような役目があったのかも知れません。   
     大量に発掘された荒神谷遺跡の銅剣も、一族のシンボルとして崇められたが、
    戦いに敗れ、あるいは屈服して他の勢力に組み込まれた際に、
    まとめて埋めたのではないか・・・・・と思ってみたりして・・・・・










     ・・・・・・・・・・・・・・・・・      
  
高天原は、天空の神々の里     
             ににぎのみこと
  天照大神の孫の瓊瓊杵尊が大神の命を受けて
        たかちほのみね てんそんこうりん
  日向の国高千穂峰に天孫降臨して日本の国を創設した    
     ・・・・・・・・・・・・・・・・


神武

                                  かんやまといわれひこのみこと
   高天原から日向の国高千穂峰に天孫降臨して幾代か、その子孫の神倭盤余彦命 は、 
    良き地を求めて海路を東に向かい
河内から紀の国熊野を廻り大和の国へ。
         
ながすねひこ             あまつかみ
    そこには長髄彦がいて戦いになり、命は天津神の詔を受けて勝利し

        かしはら         じんむ
   大和の国橿原の地を宮所と定め、神武天皇と名を改めた。

    

         川小田神楽団  「神 武 」    平成19年 芸北神楽研究発表大会


                                 やたがらす
   神倭盤余彦命を大和の国へ道案内したのが、八咫烏
   八咫烏は太陽の使いとも言われる。大和の国にとって太陽が昇る東方の熊野から攻め込んだ。
   熊野本宮大社の旗には、八咫烏が描かれている。
   日本サッカー協会のシンボルマークでもある。天武天皇が熊野で蹴鞠をして上手だったと伝えられることから、
   サッカーボールをゴールに導く願いを込めて採用された。

         八咫烏が案内を申し出る

           筏津神楽団  「神武」   神楽門前湯治村・神楽グランプリ 特別出演


 やまとたける

日本武尊

                        かわかみたける       やまとたける
    日本武尊」は、(一) 西国の川上武(梟帥)を成敗して日本武尊と名乗ることになる前編
              (二) 東国の賊軍を成敗に向かう途中、海難で妻を失い、焼き討ちに合い
                  辛くも神剣を持って難を逃れ、賊軍を鎮圧する中篇
              (三) 近江国伊吹山の賊軍を成敗するが、日本武尊は命を落とす後編

(一)                      けいこう     みこ おうすのみこと
    神武天皇から下ること第12代景行天皇の第二皇子、小碓命(倭男具那命)は、
                                   
 かわかみたける
     勅命を受けて、筑紫一円に勢力を張り、朝廷に背く川上武(梟帥)ら兄弟の成敗に向かう。

    川上武の館では新築祝いの宴が催されていた
     小碓命は女装して女どもの中に混じり、宴で舞い、時を待っていた。
     川上武は、「見慣れぬ者だ。近くへ寄れ」と、小碓命に酒をつがせ、宴に興じていた。
     小碓命は、時来たりと、懐に忍ばせていた剣で、川上武と闘う。


      
                                    女装して踊り、酒をつぐ

         河内神楽団  「 日本武尊 」   平成19年11月3日 千代田まつり神楽発表会

     

     宮之庄神楽団  「 熊 襲 」  平成22年第47回大朝神楽競演大会

    小碓命は、時来たりと、懐に忍ばせていた剣で川上武士と闘う。
    手下は討たれ、川上武も小碓命に屈した。
      まさに討ち取られんとするとき、川上武は小碓命に願い出る。
      自分より強い者はいないと思っていたが、大和の国にこのような勇者がいるのか。
      このうえは、我が名の「武」の一字を奉るので「日本武尊」と名乗ってくれと言い残して果てる


(二)
    日本武尊は、西国から帰朝後休む間もなく、父の景行天皇から東国の鎮定を命じられる。
                                 
やまとひめ   くさなぎのつるぎ
     日本武尊は、伊勢の大宮に参拝して、伯母の倭比売から草薙の剣と袋を授かった。

     

          中原神楽団  「 日本武尊 」  平成19年9月22日  とよひら神楽競演大会
                おとうとたちばなひめ
     日本武尊は后の弟橘媛を伴って出征するが、途中で海が荒れ、遭難の危機に直面する。
     弟橘媛は、入水して海神の怒りを静め、日本武尊を救う。


    弟橘媛を失い、失意のまま相模の国へさしかかると、土豪から狩を進められる。
     それは土豪の謀で、日本武尊らを囲み、草むらに火をつけて焼き殺そうとする。
     日本武尊は、授かった宝剣で周囲の草を刈り、袋から火打石を出して逆に火をつけ、死地を脱し、土豪を退治する。
      
  くさなぎのつるぎ
     この草薙の剣を尾張の国の熱田神宮に奉納した。



  古事記では、相模の国で土豪を退治してから、相模湾を渡る際に海難に遭遇する。         
   神楽では、海難の悲劇を先に演じてから、華々しい戦に入る。 
   神楽の構成上のためか・・・・








(三)
   次から次へと反賊の平定を命じられる。危機一髪のところ難を逃れ、苦心の末に退治した。
    ところが、席も温まる暇もなく、
日本武尊は更なる勅命を受けた

     

         本地中組神楽団  「 伊吹山 」  平成22年6月19日 岩戸ホタル祭り
    
    更なる勅命を受け、日本武尊は伯母のもとで、はらはらと涙を流した。
      ・・・・父王は自分に早く死ねとお思いなのか。軍兵も賜らず、兇徒を静めよと・・・・

     

     
 東山神楽団  「 伊服岐山 」 ひろしま神楽グランプリ2010(特別出演)
   やまとたけるのみこと えぞ                    いぶきやま
   日本武尊主従は東国蝦夷を平定すると、今度は近江の国伊服岐山の大鬼人の征伐を命じられる。
   疲れ切った体を鞭打って伊服岐山へ向かう途中、しばし身体を休めんと立ち寄った宮で、
               おとたちばなひめ  みやずひめ
   先の戦で失った妻の弟橘姫にそっくりな宮簀姫に出合う。伊服岐山の大鬼人は楽々と退治できると
                 くさなぎのつるぎ      つるぎ
   思ったのだろう。大切な草薙の剣を失くしてはと、剣を宮簀姫へ預けた。
   日本武尊は大鬼人と闘うが、草薙の剣が手元にないため手間取り、大鬼人が放った毒気に触れ、
   命を落とす。従者は日本武尊の魂を都へ導きためと祈りつつ都へ向かう。


    日本武尊は、近江の国伊吹山の大鬼人の成敗に向かった。
    大鬼人とは、白い猪だった。
     その白い猪は、山すそで、日本武尊が登るのを見つめていた。
     日本武尊もその白い大きな猪に気づいたが、せいぜい敵の物見ぐらいに思い、奥へ奥へと登った。


     
        日本武尊は、簡単に退治できると思った。
          しかし、宝剣は奉納したので、手元にない。

        戦いの最中日本武尊は、大鬼人の毒牙により大きな痛手を受ける。
          大鬼人は退治したが、毒が全身に回り、遂に、
 「白鳥となりて、都へ帰りたし」 と叫び、果てる。
          伴は、「日本武尊を、高天原へ導きたまえ」 と祈りつつ、都へ向かう。

        中川戸神楽団  「 伊吹山 」    平成19年11月3日 千代田まつり神楽発表会
                                           ご紹介 中川戸神楽団


  猪は、古来より稲作民族にとって、手に負えない外敵でした。
  ・・・・今も山すそで、ほくそ笑みながら、
          私たちの農作業を眺めているかも・・・・・  








   
日本武尊は武勇に優れ、日本の統一に貢献しますが、
  父から次々と遠征を命じられ、「父は我に早く死ねと言うのか」と悩むほど・・・・
  それでも、少ない軍勢で、知恵を絞り、窮地を潜り抜け、強敵に立ち向かい、
  ついには后の弟橘媛を失い、自らも戦いの末、病で死ぬ、悲運の皇子でした。 
      


はちまん

八幡

                               ほんだわけのみこと
    豊前国に第六天の魔王が攻めてきた。 これを、宇佐八幡の品陀和気命が従者と共に退治する。

       
           従者の門丸かどうまる)はおどけ者で、子どもたちに人気
           ご馳走になり、頼まれて魔王を退治に加勢すると言うが、いざという時、頼りにならない
           それでも、自分が退治したように言う・・・・・

         細見神楽団  「 八幡 」       平成19年7月 芸北神楽研究発表大会

       

         雄鹿原下組神楽団  「 八幡 」   平成20年5月25日 芸北神楽研究発表大会

    

     戸谷神楽団   「 宇佐八幡 」  
 亀山八幡神社平成22年奉納神楽

   
従者の門丸(かどうまる)は、恐ろしくて品陀和気命のそばでうろうろするばかりであったが、
    魔王を退治したとたんに、自分が退治したように長々と自慢話をする。
    ところが、退治したはずの魔王が生き返った。
    ・・・・幕の前でムクムクと生き返った魔王は、後ろから門丸に襲いかかる。


 やはた

矢旗


     
 
          苅屋形神楽団   「矢旗」    平成19年7月 芸北神楽競演大会
                                          ご紹介 苅屋形神楽団

  せきやま

 関 山 


        
                       せきやま
         移原神楽団   「 関山 」     平成19年 高野八幡神社奉納神楽

           天竺生まれの関山坊主という修行の者が唐をへて日本にやってきて、魔法で里人を惑わす。
           そこに大天狗が現れ、里人を救い、修験者を懲らしめる

          正義の天狗、
          修行者は鬼面ではなく、朱色のなんとも気味の悪い面
          移原神楽団にしかない舞だそうです。
          時代背景はどうなんでしょうか・・・・・


人 倫

 
        

          上川戸神楽団  「 人倫 」   平成19年6月3日 虫送り行事と共に
                    ・・・・・・昔ながらの旧舞に懐かしさを感じました。

     人倫は、身に翼があり、天空を自在に駆けめぐる悪鬼。
      女の鬼と言われる。
      この鬼が攻めてきたので、中津彦帝(仲哀天皇)は竹丸を伴として、弓矢を持って退治する。


       
                                      絵・植野精華 製作・筏津神楽団
           筏津神楽団  「 人倫 」

   

         筏津神楽団 「塵倫   さつき選抜2007 in 神楽ドーム 
                               
(安芸高田市・神楽門前湯治村

                   
                         
   天空を駆けめぐる人倫
             筏津神楽団 「人倫 」 
平成19年2月25日 RCC新春神楽

        
                              
      鬼3匹が攻め来る
            
いち
        
新庄 市神楽団  「 人倫 」   平成17年 大朝神楽競演大会


     
                                                 5才の小さな鬼も・・・・
           
東山子供神楽団  「 人倫 」    平成20年4月6日 古保利薬師 春まつり


  この神楽には、諸説あって、紹介し切れません。
  「人倫」のほか、「塵輪」、「塵倫」、「弓八幡」「リンリン」とも言われます。          

  あえて「」の字が使われるのはなぜか。
  ふと思うのですが、「鐘馗」が病気との闘いの神楽とすれば、
              「人倫」は、風紀の乱れとの闘いの神楽ではないか。         
  風や塵のように、空からやってくる。
  般若の面には、妖艶さが漂う
  女鬼の髪は乱れ、淫乱な感じさえする。
  乱れた風紀に立ち向かい、塵のごとく汚れた人の倫
(みち)を正す。
                                ・・・・・・新説ですが

  


天神


      

         小原神楽団  「 天神 」  平成20年11月23日 宮瀬神社刀納め

      菅原道真は、藤原時平の讒言により、九州の大宰府へ左遷された
      道真は京への復帰を願いながら没するが、
      道真の怨念は雷神となって、政敵藤原時平を征伐する
           ・・・・・悪役時平には、鬼面がないのが特徴
                         がっそう(長い髪)で舞う


悪狐退治

           あじゃりゆうけい        ごうりき
    那智の東光坊 阿邪利祐慶 という山伏が、剛力 という伴をつれて大峰山へ参拝の途中、
    那須野が原の黒塚へさしかかったところで日が暮れた。
    里人に宿を求めたが得られず、野宿をしていると、美しい女が現れ、山伏に救いを求めてきた。
    怪しいと思った山伏は、これを追い返し、里人に何者かを尋ねる。
    それはなんと、この那須野が原を棲家とする金毛九尾の悪狐だという。
    山伏たちは急ぎ立ち去ろうとするが、悪狐に襲われ、剛力は食われ、山伏はかろうじて逃げ去った。


     

        朝間神楽団  「 山伏 」   平成18年10月 大朝神楽競演大会


         野宿をしていると、
             霧の中から美人が現れた。

         そして、 山伏に
          罪深い自分を救って欲しいと色香で迫る
              「
 助けたまえや、御僧さま、
                  救いたまえや、御僧さま
。」
           怪しいと、疑った山伏は
             「
姿を変えてまいれ。」 と追い払う

         この女の正体を里人に聞くと、
            この那須野が原に棲む
                 金毛九尾の悪狐だろうと言う。

 この狐は、
 男が通れば、女に変化  女が通れば、男に変げ
 牛馬が通れば、アブ・ハイに変げ アブ・ハイが通れば牛馬に変げ
 
 きゅうりが通れば、なすびに変げ なすびが通ればきゅうりに変げ
            ひねくれて、
               いたずらっぽい、
               人をからかう、
        そして 最後には、食い殺す、恐ろしい狐なのだ。

    同行の剛力は、狐に捕まり、食い殺された。

           
                                     絵・植野精華 製作・筏津神楽団
            筏津神楽団  「 黒塚 」

             
                  女に化けた悪狐は、剛力を餌食にして、黒塚へ引き上げる

            筏津神楽団 「 黒塚 」  平成19年12月1日 筏津神楽団刀納め

              みうらのすけ   かずさのすけ
        勅命を受けた三浦の介上総の介が那須野が原へ出向き、悪狐を退治する。
          狐は正体を現せた・・・白い狐だ。

        狐なので、弓矢で成敗します。

   
            
               大暮神楽団   「 三浦 」   平成18年 宮瀬神社 秋の大祭


 この悪狐の正体は・・・・・・

   中国、インド、日本の三国にまたがって悪事を働いた、ものすごい狐です。               
         顔は銀白、身体は金色に光り、尾は九つ
                      いん          ちゅうおう
   この狐は、中国の初めのころ、という国の紂王の妃となった。
   紂王はこの妃の気をひくため惨い所業をかさねたため、遂に周の武王によって滅ぼされた。
          てんじく                 はんそく
   狐は、天竺(インド)へ逃れ、マカダ国の班足太子の妃となった。
   太子もこの妃の色香に迷わされ、政治が滞った。
   再び中国へ舞い戻り、周帝の側室となり、周を滅ぼした。
                         きびのまきび
   そして、日本へ帰国する遣唐使の吉備真備の船に、
   少女に化けて乗り込み、日本にやってきた。
   やがて、白河天皇の時代に、捨て子に化けて武士に拾われた。
                    たまものまえ
   それが絶世の美女となり、玉藻の前と名乗り、鳥羽天皇の寵愛を受けることとなった。
   ところがその後、天皇は、原因不明の病気に罹られた。
   おんみょうし
   陰陽師安部泰成が玉藻の前の正体を見破った。
   狐は都を逃れて、下野国の那須野が原に棲みつき、悪事を働いた。
   朝廷は、安房国の三浦介義純と上総国の上総介広常を大将として征伐に向かわせた。
   狐は命乞いをしたが、両介はそれを許さず、戦いになる。
   三浦介の矢が命中し、上総介が駆け寄って退治した。
   狐の死体は大きな石に変じて、毒煙を吐き出した。
      ・・・・・・この石は「殺生石」と名づけられ、それ以来八百年、毒煙を吐き続け、
          人畜の命を奪っている。

  この狐は、地上がまだまだ混沌とした泥海に漂う妖気の中から生まれたという。
  そして、毒気を発して近づく生き物を殺し、時に大きな災いをもたらした。
    ・・・・・・この狐は、硫化水素を噴出す殺生石
     そして、噴火を恐れられた那須岳の不思議な自然現象そのものと言えましょう。

                 (参考  新藤久人著「芸北神楽と秋祭」)
                        殺生石
                        九尾伝説と玉藻前


 この狐の性癖は
     相対するものに化けて迫り、得意になってやり過ぎ、尻尾を出す

         ・・・・・狐や狸は化かすというが、これは人間の勝手な作り話
         ・・・・・狐さん、狸さん、ごめんなさい。
  いん   ちゅうおう
  殷では、紂王の残虐な悪政をエスカレートさせて国を壊し、
  天竺では、夜な夜な外に出て幼児を食い、見つかる
  日本では、和歌の夜会に、風で灯火が消えたとき、
      体から明かりを発して帝に喜ばれるが、そのため陰陽師に疑われる
  那須野が原では、男が通れば女に化け、女が通れば男に化ける
  牛馬が通ればアブ蠅に化け、アブ蠅が通れば牛馬に化ける
  なすび      きゅうり
  茄子が通れば胡瓜に化け、胡瓜が通れば茄子に化ける 等々
      ・・・・・・ともかく、相対する者に化けて迫り、得意になって、やり過ぎるのです

  神楽では、野宿をしている山伏の阿邪利祐慶に、女に化けて、
     「助けたまえや、御僧様。 救いたまえや御僧様」 と、色香で迫ります。
  三浦介、上総介に追い詰められると、
     「助けくれなば、汝らが守り神にならん」 と命乞いします。。
        ・・・・・・しかしついに、いずこにも棲み永らえることができず、成敗されます。 


   


 安達ケ原
                あじゃりゆうけい  
  この物語にも、那智の東光坊阿邪利祐慶が登場する。
  「悪狐退治」と似た、気味悪い話だ。

 (一)前段
   都の公家に仕える乳母の岩手が預かった姫が病気になった。易者に伺うと、妊婦の肝を飲ませれば治ると言う。
   妊婦の肝が簡単に手に入るはずもない。旅に出た。
       
 むつ     あだち                      いこまのすけ こいぎぬ
    岩手は陸奥の国の安達ケ原の岩屋に住み着いた。そこへ生駒之助恋衣という旅の若夫婦が来た。一夜の宿を貸す。
    見れば、若妻が身籠っているではないか。
    その若妻が産気づいた。夫が産婆を探して岩屋を出た。その隙に、若妻を殺し、腹を割って肝を取った。
    恋衣は死に際に、「別れた母を探してここまで来た・・・」と言った。
    もしやと思い、若妻の持ち物を見ると、なんと乳母が授けたお守り袋を持っているではないか。
    わが手で、わが子を殺したのか・・・・乳母は気が狂い、鬼女と化した。
    そして、旅人を襲い、生き血をすする「安達ケ原」の鬼女となった。

 (二)後段
   鬼女と化した岩手も次第に正気に返り、わが子を殺した自責の念にさいなまれ、日々悶々と暮らす。
     そこへ、紀州熊野の僧・東光坊阿邪利祐慶がやって来た。そして、この岩屋へ宿を求めた。
   岩手は、仏にすがる思いで仏僧の祐慶を丁重にもてなし、暖を取ろうと、裏山へ薪を取りに行く。
    その時、祐慶へ、「決して寝屋を覗かぬように」と言った。
    覗くなと言われれば覗きたくなるのが人情。つい、覗いてしまった。
    するとなんと、寝屋には人骨が山積み。驚いた祐慶は逃げる。
    岩手は再び鬼女となって祐慶を追う。祐慶は法力を使って鬼女を調伏した。
    鬼女は祐慶によって信心を得てまともな人となった、という説と、
    祐慶はやむなく法力を使って鬼女を討ち取った。
    その鬼女は、阿武隈川の近くに埋められ、塚は「黒塚」と呼ばれるようになったという説がある。

   その黒塚は今も残る。

   
    岩手は祐慶一行に宿を貸し、身の上を話して、祐慶から仏の教えを授かった。

       大塚神楽団 「 安達ケ原 」   平成27年9月 白杵神社例祭


 すずかやま

鈴鹿山

  鈴鹿山は、滋賀県と三重県の県境に連なる鈴鹿山脈全体を指す        鈴鹿の山々
  征夷大将軍坂上田村麻呂の鬼征伐であるが、物語は二題ある。

  (一) 旧舞 鈴鹿山
        さあのうえたむらまろ
       征夷大将軍坂上田村麻呂は勅命を受け、鈴鹿山の大鬼人征伐に赴く。
    
          さとびと
         途中、郷人から鈴鹿山の様子を伺い、宝剣を授かる。
                   
         なぎなた
         大鬼人は、田村麻呂の弓や薙刀などの武器を次々と奪うが、ついに授かった宝剣で成敗する。


          
             「鈴鹿山は大山なれば、そこに座ってよくお聞きなされ候」         
             田村麻呂は、腰を下ろして、郷人から鈴鹿山のことを詳しく聞く

         筏津神楽団 「 鈴鹿山 」  平成16年5月 大朝鳴滝 大花田植え

  (二) 新舞 鈴鹿山
       鈴鹿山の大鬼人の犬神丸は、手下の夜叉丸に、和田の里の翁の娘あやめ姫をさらってくるように命じる
       犬神丸は里に降りて姫を連れ去ろうとするが、そこに坂上田村麻呂が現れ、戦いとなる。
         夜叉丸は、田村麻呂の武勇に屈し、改心する。
         そして、田村麻呂を案内して大鬼人の征伐に向かう。

        
                     田村麻呂に命を助けられ、大鬼人の岩屋へ案内する

         今田神楽団  「 鈴鹿山 」  平成19年6月16日 千代田神楽競演大会
                                             ご紹介 今田神楽団

         
                               絵・植野精華 製作・筏津神楽団
        鬼の岩屋では、念願の姫はまだかと、犬神丸は夜叉丸の帰りを待つ
        夜叉丸は、姫をさらってきたと見せかけ、酒盛りを始め、姫も大鬼人に酒を注ぐ
          大鬼人らが酔って寝静まったところを、田村麻呂と夜叉丸は大鬼人を襲い、退治する。
         

            筏津神楽団  「 鈴鹿山 」

 大江山 

  
 「大江山」には、「」、「戻り橋」、「羅生門」そして「大江山」と一連の演目があります。

(一)
             相模国足柄山の山中
               夫に先立たれ、都を追われた母と子は、山賊に身をやつす
               子の怪童丸は、山中で一人で身体を鍛え、武芸に励む・・・・「熊にまたがりお馬の稽古」のいわれ
               そして、山中に迷い込んだ旅人を泊めて、襲う
               道に迷い、山家を見つけた源頼光渡辺綱の主従に宿を貸し、いつものように襲うが、
               頼光らの武勇に屈す
               山姥は自分の一命と引き替えに、怪童丸の命乞いをする
               山姥の願いで、怪童丸は頼光の家来となり
               頼光の四天王に加えられ、坂田金時の名をいただく

   
                      
        山姥と怪童丸は、頼光主従を襲う
                 
やまうば
    今吉田神楽団   山 姥 」  とよひら神楽競演大会    9月22日  豊平ウイング
                                       
ご紹介 今吉田神楽団

      
                                 山姥と金時は涙の別れ

        新庄高校郷土芸能同好会  「 山 姥 」    平成21年度文化祭

        源頼光と渡辺綱の武勇に屈し、山姥は息子の命乞いをする
        怪童丸は許されて、頼光の家来になる
        山姥は、生き延びるためとはいえ,山賊に身をやつし、悪事をさせたことを、我が子怪童丸に詫びる。
          そして、頼光に仕え、日の本の平安に尽くすよう諭す。
          山姥は怪童丸の髪を整え、父の形見の刀と我が愛用の扇子を与る。
          怪童丸は、坂田金時と名乗り、源頼光に従って都へ旅立つ。
          山姥と金時の母子は涙の別れ・・・・



       坂田金時
とは、おなじみの金太郎さんのこと

  

         まさかり 担いだ 金太郎 熊にまたがり お馬の稽古            
                  ハイシ ドウドウ ハイ ドウドウ
           」


   ・・・・・・・金時は、山中で山姥に育てられ、まさかりを使い、熊と遊んだ・・・・・・・・・        

  
頼光に従い大江山鬼退治に向かう金時が、手物にまさかりを持つ神楽団もある。      


                     足柄山の金太郎さん


(二)
       しゅてんどうじ
       酒呑童子の手下の茨木童子らは、夜な夜な都に現れて、人々を悩ます。
          今夜も、京の羅生門は戻り橋あたりで、婆に化けて傘売りを襲う。

          
             傘売りの善兵衛さん。「傘はいらんかねー、傘は安いよ」

            
宮乃木神楽団  「一条戻り橋」   平成27年10月14日 「広島神楽」定期公演


          
           にわか雨にたたられ、 羅生門で雨宿りする翁と姫を襲う茨木童子

           
筏津神楽団  「 羅生門 」  平成19年12月1日 筏津神楽団刀納め

         市中見廻りの渡辺綱らに見つかり、戦いとなる
         茨木童子は左腕を切り取られ、大江山へ逃げ去る


       

        東山神楽団  「 戻り橋 」  平成17年10月22日 第30回陰陽神楽競演大会


     


 写真は、京都一条通の「戻橋

 日が暮れ、小雨が降ってきたので、
 傘売りが帰ろうとすると、
 姫(又は婆)が出て、傘を買い求める。
 ところが、姫(婆)は鬼となって、
 傘売りを襲う。

 戻橋は、都の一番上の通りにかかる。
 京の東北、つまり牛虎の方向
 牛虎の方角から鬼(わざわい)が来る。
 だから鬼は、牛の角(つの)で、虎のパンツをはく。

 一条通りでは、この伝説を逆手に取り、いろいろな町おこしが行われているようです。
                                 (「一条通、鬼」で検索してみてください。)
  京の人々は、 「旅に出るときは戻り橋を渡る(再び渡れるように・・・)。
            嫁に行くときは渡らない(戻ることがないように・・・)。」とか。

 この戻り橋の直ぐ近くに、陰陽師の安倍晴明を祀る晴明神社があります。
 安倍晴明が陰陽の術で悪者を発見したり、鬼を鎮める神楽があります。
 


(三)
    酒呑童子
は、茨木童子の左腕を取り返すため、渡辺綱の乳母を襲い、
     乳母に化けて、頼光の館へ乗り込み、左腕を見せてくれるように頼む。
     頼光は断るが、非情にも我が子のように育てた乳母の願いを断るのかと執拗に迫り、
     頼光はやむなく見ることを許す。


        

           
八重西神楽団   「 羅生門 」   平成20年11月1日 千代田まつり神楽発表会

         
 
       渡辺綱の乳母に化けた酒呑童子は、箱に納められた茨木童子の左腕を盗み出す

       
筏津神楽団   「羅生門」  平成19年10月20日 筏津大歳神社秋祭

       

         酒呑童子は、取り戻した左腕を、茨木童子の腕につける・・・手術?
                                    
         
上本地神楽団 「 羅生門 」   
                                                    ご紹介 上本地神楽団

          しかし、渡辺綱に見つかり、戦いとなる
          酒呑童子と茨木童子は、渡辺綱をしりぞけ、
          虚空飛天の妖術をもって大江山へと飛び去る

(四)
         源頼光は勅命を受け、坂田金時ら四天王を従え、大江山へ鬼退治に出かける
         途中で住吉大明神から御神酒を授かる
         この御神酒は、善人が呑めば千人の力を得る、悪人が呑めばたちまち魔力を失う、神変鬼毒の妙薬

                

              
才乙旭神楽団 「 大江山 」  平成20年5月25日 芸北神楽研究発表大会


 「大江山」の舞歌(神楽の題目ごとにその神楽を象徴する歌として定められ、舞初めに歌う歌)は、百人一首で有名な、
   「 大江山 いく野の道の遠ければ まだふみもみず天橋立 」

 祭りの神楽も興に入り、フィナーレの八岐大蛇の前に舞う大江山の頃には、目もバッチリ覚めて、ドラマチックなこの舞に目を輝かせたものだ。いつの間にか、大江山のこの舞歌を覚えてしまった。
 そして、てっきり頼光が詠んだ歌だと思い、大江山へ行くのは遠いのだな、それにしても天橋立は日本海、大江山に行くのには天橋立まで行かなくてもよかろうに・・・・

 それは全くの早がってんでした。
 この歌を詠んだのは、女性。小式部内侍という娘さん。
 「いく野」の「いく」と「ふみもみず」の「ふみ」がひらがな.。掛けことばだからだ。
 「いく野」は、「行く野」と「生野」を掛けている。生野という所は実際に丹波の国にあり、大江山に行く途中。頼光一行がお参りしたと言われる住吉神社が近くにある。.
 「ふみ」は、「踏み」と「文」を掛けている。

 小式部内侍は、幼い時から歌の天才と知られた。その母も和泉式部と言い、「和泉式部日記」で知られ、優れた歌人。その母は、夫の藤原保昌が宮津(天野橋立の対岸)の国司として赴任したので、夫に従って宮津へ。
 小式部内侍が歌が上手なのは、母から教えてもらうからだろうというやっかみがあった。
 歌を詠み合う歌会で、歌人の藤原定頼が小式部内侍をからかって、「丹後の国のお母さんから歌の指導の手紙が来ましたか?」という意味の嫌味を言った。それに対して即興で作ったのがこの歌だ。この場合、藤原定頼が返歌を詠むのが礼儀だが、それができなかった。この結果、小式部内侍の名声がますます高まった。
                                    ご参考=百人一首講座

   
               天橋立から中国山地を見る。左が京、湖の右奥に宮津。
 

 ところで、大江山の鬼を成敗したのは、源頼光と四天王と思っていました。確かに京を出発したのはこの五人の大将(もちろん家来もいたでしょうが…)でしたが、あらかじめ偵察のため先行して宮津に赴任していた藤原保昌も加わり、大将は計六人でした。
 このようなことから、この歌と大江山の鬼退治が無関係ではなかったことが分りました。
 そして、、天橋立を見なければ宮津に行けないことも分りました。


          
                    頼光ら主従は、酒呑童子に捉えられ、岩屋の近くで布を洗う紅葉姫に会う

        上石神楽団   「大江山」  平成20年4月13日 
上石神楽団 創立百拾周年祭

             源頼光主従は、山伏に変装して、
             丹波の国は大江山の酒呑童子ら鬼退治に旅立つ。
             山中で道に迷い、紅葉姫に会う。
             紅葉姫は、都から連れ去られ、                    
きぬ
               その日は、いつものように、殺戮により返り血で染まった鬼の衣を洗濯していた。
             紅葉姫は救出を願い、頼光らを案内して、酒呑童子の岩屋へ・・・・・・


  大江山酒呑童子に囚われた姫は、を手物に舞います。
 子どもの頃、姫さんだから「」か、と思った。
 神楽団に入って、それは血で染まって赤い布だと知らされた。山を下り殺戮を繰り返す輩だ。返り血を浴びたのか、剥ぎ取った衣類に血がついていたのか、仲間のうちに傷ついた者がいたのか・・・・布は衣類を象徴しているのだろうと、つい先日まで思っていた。
 ところが、いろいろなことから、その布は、人間の肉を運ぶ風呂敷のようなもので、山を下りるときに、余分に腰に巻いて出かけたのではないか思うようになった。
 大江山の鬼は、羅生門あたりに出没して、人を襲い、人肉を持ち帰った・・・・大江山まで人体を運ぶには大変だ。肉片して帯に包んで、運んだのに違いない。なにしろ、ビニール袋などがない時代だ。だから姫は、日常的に血が付いた帯を洗らわさせられた。
 神楽団によっては、茨木童子が姫や傘売りを襲うとき、「おまえを殺して肉をとる」と口上を述べる。
 大江山で、酒呑童子は源頼光に神酒の毒試しをさせる。さらに「肴にこの肉を食え。これは人の肉だ。」と勧める。頼光はぎくっとしたかもしれないが、平然と人の肉を食べる。都の名のある者は、人の肉を食べることはないだろう・・・酒呑童子はますます安心して気を許す。
 姫の持つ赤い帯は、そのような意味合いがあるのではないか。
                                   ご参考に・京洛そぞろ歩き
 


       
                             酒呑童子と源頼光の問答

            
郷之崎神楽団  「大江山」   平成17年 広島大朝会  
                                                    ご紹介 郷之崎神楽団

         
                  岩屋で、酒宴を始める酒呑童子ら
                     ・・・・・・神社での秋祭りの神楽は、懐かしく、味わい深いものがあります。
          しょうしば
         
小市場神楽団    「大江山」   平成19年9月22日 小山八幡神社 秋祭り
                                        ご紹介 小市場神楽団
           酒呑童子らの岩屋
              頼光主従は、一夜の宿を請う
              突然の来訪をいぶかる酒呑童子は、頼光に詰問する
                ・・・・・「
何々とは如何に」 山伏が答えて「それ何々いっぱ」・・・・・いっぱ=と言わば
                       山伏とは・・・・額の
兜巾(ときん)とは・・・・とは・・・・草履(ぞうり)とは・・・・・
                       山伏修験者なのに
法衣(ほうえ)の下にまといたる鎧(よろい)は如何に・・・・・
                           〃      
腰にさしている刃(やいば)は如何に・・・・・
                   (頼光の返答の矛盾を突く場面や、酒呑童子が自らの辛い生い立ちを語る神楽団もある)
              次々と出される質問にテキパキと答えた頼光は、
              持参の御神酒を酒呑童子にすすめる
              酒呑童子は、久しぶりの都の酒と喜んで呑もうとするが、
              用心深い酒呑童子は、頼光に毒見をさせる
                ・・・・・・善人が飲めば千人力、悪人が飲めば魔力を失う神酒とも知らずに・・・・・
              安心した酒呑童子らは、姫に酒を注がせ、頼光らと酒宴に興じる





            
                                        絵・植野精華 製作・筏津神楽団
              筏津神楽団  「 大江山 」
                             
絵葉書にしました


  しゅてん
  酒呑童子は、その名のとおり酒の好きな鬼 
  もともと仏門にあったが、酒が過ぎて破門された
  だから、仏教に相応の知識があり、頼光と問答できた
  しっかり勉強しておけば、頼光らを偽の山伏と見抜けたろうに、
  山伏というので、ついつい仏心を出し、命取りとなる
  豪快なようで、警戒心も強い         
  酒におぼれ、間の抜けたところもある、              
  子分のために一肌脱ぐ優しさもある
  人間味のある鬼です

    ・・・鬼面は、大きくて丸顔で、きつくない
      少し上向きの、
      人の良さそうな ? お面がお似合いのようです

    
大江山の鬼についてはいろいろと   大江山 伝説


















   

       筏津神楽団  「 大江山 」   筏津大歳神社 平成22年秋祭り

    鬼が五つ出ます。 後列中央に酒呑童子ほか家来が四人
     手前は、中央に源頼光、右が渡辺の綱、左が坂田の金時

土蜘蛛

             この神楽は、別名「葛城山」とも言う。
       
かつらぎざん
   大和国葛城山に年古くより住む土蜘蛛の精魂がこの国を我が意のままにせんと、侍女の胡蝶に化けて、
   病気療養中の源頼光に近づき、典薬の庁から賜った薬と偽り毒薬を飲ませようとする。

      

       
  曙神楽団   「 葛城山    平成20年11月1日 千代田まつり神楽発表会
  
        「いかに頼光殿、おん心持ちはいかにて候や?
              良薬と偽り、毒薬を飲ませた土蜘蛛の精は
                 初めは心配そうに、次第に言葉を荒げて
                     毒薬に苦しむ頼光を取り食らわんと襲いかかるが・・・・・ 

   これを頼光は、源家の宝刀で撃ち払う。
   土蜘蛛の精魂は手傷を負い、葛城山に逃げ去る。
   頼光は、この宝刀を蜘蛛切丸と名づけ、四天王に授けて退治させる。

          

           上石子供神楽会 
「 土蜘蛛 」  平成19年夏 吉川元春館跡歴史公園完成祝賀会

           源頼光の毒殺に失敗して手傷を負った土蜘蛛の精魂は、葛城山の棲み家へ逃げ帰る

         

           
山王神楽団  「 土蜘蛛 」   平成19年11月3日 千代田まつり神楽発表会

           源頼光の命を受け、葛城山の土蜘蛛の棲み家を襲い、退治する
                           ・・・・・・・左の坂田金時を演じるのは、中学1年生

                                                 ご紹介 山王神楽団

 
 私が子どもの頃の思い出だ。
 毒薬を飲まされた頼光が、いきなり元気になって土蜘蛛と戦い、土蜘蛛を退散させる。 
 これは不自然だ。         
 これはきっと、毒薬を飲む振りをして、、毒薬を懐に流し込んだのだ。          
 それでは、なぜ、胡蝶を土蜘蛛と見破ったのか。

 そのためには、こんな問答があったら面白い。
 例えば、天薬の頭のところへ薬をいただきに参ったのだから、頼光が胡蝶に質問する。              
 「天薬の頭はお元気だったか?」
 「何か、お話があったか?」
 天薬の長に会っていない、あるいは天薬の長を殺害した土蜘蛛は、この質問に、一瞬たじろぐ。
 胡蝶のあやふやな返事に、変だと気付いた頼光は、
  「そうか、お元気でいらっしゃるか。それはよい。」
 と言いながら、薬の調合に行く胡蝶の後ろ姿に首をかしげ、思案の所作をする。
 そして、そ知らぬふりで、袖を上げて飲む姿を隠し、,器を落として倒れこむ・・・・
 それなら、いきなり元気になった頼光に納得できる。

 




        
ぬえ

 頼政の鵺退治 

                          ししんでん       ぬえ
         平安末期、時の帝は、宮中紫宸殿で、毎夜鳴くの不気味な声に悩まされる
         鵺は、頭は猿、背は虎(牛)、尾は狐(蛇)、足は狸、声は鴉に似た化け物
         多くの猿を引き連れ・・・・子猿も抱いて
         これらを、弓の名人源頼政が退治する

          

          
 後野神楽団  「 頼政 」  平成19年12月1日 筏津神楽団刀納め


 平氏の略系図      
                                維衡 ・・・清盛 − 重盛 − 維盛   
                   国香 ー 貞盛 −[
  桓武天皇 ・・・平高望 ー[             維茂
                   良将 − 将門    生没年未詳
                         〜940

 源氏の略系図

                            948〜1021   1104〜1180
                             頼光 ・・・・・ 頼政            頼家        
  清和天皇 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ [                    頼朝 ー[
                             ・・・・・ 義家 ・・・・・・・・ [        実朝
                                              義経
                                             1159〜1189
               


   * 歴史としては、「大江山」よりも、「平将門の乱」が先のようです。(将門の乱の後に、頼光は生まれている)
     しかし、神楽としては、「大江山」が古いので、前に並べました。


 たいらのまさかど

 平将門の乱 


 10世紀に、平家一族の抗争に端を発し、京都の朝廷に対抗して「天皇」を名乗り朝敵となった平将門の乱を描いた、関東を舞台とする神楽です。
 

    平将門は、一族の叔父達の陰謀で領土を奪われた。
    将門は領土を取り戻すため、叔父達や平国香を討ち、
    
しもふさ            ひたち  しもつけ こうずけ
    下総国に拠を構え、さらに常陸、 下野、 上野の国府を攻め、自ら新皇と名のる
    父の平国香を討たれた平貞盛は、藤原秀郷と力を合わせ、将門を討ち果たす。
    平貞盛は後に鎮守府将軍に任じられる
      ・・・・940年(天慶3年)のこと、世に「天慶の乱」、「将門の乱」と言う 

   
      叔父の子の平貞盛と藤原秀郷に応戦する平将門ら・・・・・・将門は敗れ、家来を逃し、無念の最期を遂げる
                       
 てんぎょう
       
富士神楽団   「 天 慶 」       平成19年10月27日 大朝神楽競演大会
                                                ご紹介 富士神楽団

  
       大太鼓も、小太鼓も、鉦も笛も、女性       太鼓や鉦の音はスナップが効いて、力強いものでした。

      
 新庄高等学校郷土芸能同好会  「天慶記   平成18年 広島大朝会

平将門」、「天慶」の後編

 
その一 「筑波山」

   
                              
舞殿の神楽を拝殿や戸外から観覧する伝統の秋祭り

       
西宗神楽団   「 筑 波 山 」  西宗八幡神社平成22年奉納神楽 

     
平将門に仕えていた女が、主の将門の仇を討たんと筑波山にこもり、修行を重ねて千変万化の妖術を習得して
    鬼女となった。藤原秀郷は平貞盛とともに鬼女成敗に向かう。それを知った鬼女は巫女に変装して、毒酒を御神酒と
    偽り、秀郷と貞盛に勧める。両将は倒れ、襲われるが、神徳の前に術は破れ、鬼女は筑波山に逃げ帰る。秀郷と
    貞盛は鬼女を追って筑波山に向かい成敗する。

                                                 筑波山

 
その二 「滝夜叉姫」

      天慶の乱で父の平将門を討たれた五月姫は、貴船の社で七日七夜の願をかけ、満願の夜、ついに妖術を授かる。
                                           滝夜叉姫について   板東市 浮世絵と将門

            

       
春木神楽団   「 滝夜叉姫 」     平成19年11月3日 千代田まつり神楽発表会

     

       
千代田高等学校神楽愛好会  「 滝夜叉姫 」 平成20年度千代田高校文化祭

      五月姫は、名を滝夜叉姫と改め、父の敵を討たんと立ち上がる。
      父将門が死の直前に逃がした家来も駆けつける。


                           
おおやのちゅうじょうみつくに
     この噂は都に聞こえ、勅命を受けて大宅中将光圀が関東に下り、陰陽の術をもって成敗する。
     そのため、中将光圀は、片手に幣をもって戦う。
     滝夜叉姫は、「父上」と叫び、無念の最後を遂げる。

     

        
阿坂神楽団  「 滝夜叉姫 」    平成19年9月22日 とよひら神楽競演大会

         

紅葉狩

    たいらのこれもち とがくしやま
    平維茂は信州戸隠山へ鹿狩に行き、道に迷う。       (平維茂は平貞盛の甥にあたる)
     戸隠山には鬼女が棲み、旅人を襲い、生き血をすするという。
      鬼女は美女に化けて紅葉狩の宴を開き、平維茂らを誘い込む。
      平維茂らは色香に迷い、酔い伏して、鬼女の餌食にならんとす。
      その寸前に八幡大菩薩が現れ、維茂らの命を救い、神剣を授ける。


     
                                                          園児による鬼女の舞
          
新庄保育所   「 新新新 紅葉狩 」    保育所発表会

   
             保育所での練習風景
            
                                                    
新庄保育所   新新新・紅葉狩

      
                  のぼ く                    さかな
                 
「登り来る、登り来る・・・・良き、肴 登り来る
                     
維茂らが、山中を迷い、谷から登ってくるのを見つけて、大王へ報告する

         
 今田神楽団   「 紅葉狩 」   平成20年4月13日 第15回今田城こぶし祭り

     

       鬼女は、女に身を変え、平然として維茂らを迎え、紅葉狩の酒宴に誘う。
           
有田神楽団   「 紅葉狩 」  平成20年6月21日神楽の里千代田神楽競演大会
        (「紅葉狩」といえば新舞と思われがちですが、有田神楽団の紅葉狩は旧舞で、独特なものがあります。)

     
        
            筏津子供神楽団  「 紅葉狩 」

             
    こども神楽発表大会  主催 (財)広島市文化財団    アステールプラザ

    

    
 大朝小学校6年生の今田凛輝君の作品です。
    大朝小学校の子ども神楽の紅葉狩を描いたものです。
    マジックで下絵を描き、色付けしました。
    ・・・・神楽らしい色調で、子どもが舞う様子が伝わって来ます。

 義 経 


      壇ノ浦     

     源頼朝に追われ、京を立ち退く義経は、途中、妻の静御前と別れ、奥州を目指す
       しかし、奥州にて義経主従もろとも最期を遂げる


  
                     別れ難い義経と静御前の間に割って入る弁慶

   大塚神楽団   「源平盛衰記」   平成17年10月29日  第42回大朝神楽競演大会
               あたか
   義経主従は、加賀の国 安宅の関で、関守の富樫左右衛門泰家の嫌疑を受ける。
   富樫左右衛門の詰問をうけ、
   背に荷物を運ぶ剛力に身を隠した義経が、富樫に見破られそうになると、
   弁慶は 「お前のために皆が迷惑する」 と、主の義経を打ち叩く
   必死の思いの弁慶に心打たれた富樫は、「旅の無事を祈る」 と関所を通す。 

        ・・・・・有名な「安宅の関   

    
                  笠をかぶり、荷を背負い、従者に身を隠した義経を、弁慶は容赦なく打つ
                                  ・・・・後で、弁慶は義経に詫び、主従の絆をさらに固く結ぶ

        琴庄神楽団  「奥州平泉」       平成19年3月 山県郡友会総会
                                           ご紹介 琴庄神楽団
               その年のNHKテレビの大河ドラマは 「義経」

 
  桃太郎さんの鬼退治
                                              しましま
 伝説に登場するは、頭にがあり、縞々パンツをはいている。      ・・・・・なぜ、そういうイメージができたのか?
     加計高校芸北分校の神楽部の研究発表によると、
         (第2回 芸北の教育の将来を考える会)
     古代中国から伝わった陰陽道に発するもので、
                   きもん
     鬼が出入りする方角は鬼門と言い、北東
            じゅうにし     うし とら
     北東は、十二支では、の間の方位
     にはがあり、の毛皮は縞々だから・・・・・


 風の宮 


      
                     賊は、船の櫂(かい)をもつ

      移原神楽団   風の宮  平成21年11月22日 宮瀬神社 刀納
      元冠を神楽にしたもの
      鎌倉幕府の時代、文永、弘安の二回、元の国から大軍が押し寄せてきた。
                 
しながつ
      伊勢の国の風神科長津彦命が、神風を吹き起こし、数千艘の船を沈め、 日本を守った
       ・・・・長い間舞われていなかった神楽を、この度伝承・・・
          日本は負けない、最後には神風が吹く
      
 ・・・・そう信じた先の戦争の歴史をしっかり見つめながら、今日に受け継ぐ・・・

岩見重太郎


                 いけにえ
 娘に代わって、重太郎が 生贄 に、

 中央で、
 
の着物をかぶっているのが重太郎
   後ろの白い箱に入ってを待つ

      神楽は 宮乃木神楽団
  
詳しいストーリーは同神楽団HP 
            「演目紹介」
    
  三次のグランドホテル
     
 神楽&屋台まつり
 ホテルで、ディナーショー風に神楽を
            楽しむのも一興 
 ・・・・・田舎のお祭り感覚で神楽が観れる



鏡山

    浜田藩第六代藩主の奥方に仕えていた岩藤は、
    中老の尾上を妬み、配下の諏訪に命じて草履を自分のものとすり替えさせる。
    尾上はそうとも知らず、岩藤の草履をはき、岩藤に厳しく咎められ、無念の自害をする。
    このことを知った尾上の召使いのお初は、尾上が自害した懐剣で、主人の仇を討つ。
    ・・・・・世に言う「鏡山事件」、享保9年(1724)春の出来事と言われる。
    ・・・・・いわば「女忠臣蔵」

    
                                               登場人物は女性ばかり
          
後野神楽社中  「 鏡山 」      平成18年10月28日 大朝神楽競演大会
                                            ご紹介 後野神楽社中

       *****************************

  有田八幡神社有田神楽団

 広島県無形民族文化財指定50周年を記念して
    「 有田神楽のあゆみ 」を発行

  昭和29(1954)年4月23日指定
    有田神楽団の神楽
          神降し
         天の岩戸
         八岐大蛇


  平成16年に50周年記念事業が催され、
    この度、記念誌が発行されたもの
                  有田神楽団 
  有田神楽団には長い歴史があり
    昭和29年からの出演回数だけを捉えても
      1177回の出演実績があります
                        
   その中には、昭和32年11月3日
 大朝町神楽大会  雲井座 の記録があります
       雲井座(18.12トピックスで紹介)
  
  大蛇が2階席から舞台へ空中を降りてくる
  その時の衝撃は、今も忘れられません

 

         
              すげさわ
      神楽面師 管沢良典 さん 
                        千代田へ工房開設・創業 20周年

         記念して、12月9日に 月一の舞い  神楽公演
   
       そして、サンクスにて、作品展 約130点  平成19年12月8日 〜 16日
           菅沢良典さんは、1956年生れ、浜田市の神楽面師 故日下義明氏に師事
           初め、島根県旭町に工房を開き
           1987年 千代田へ工房を移し、20年


     

       千代田中央公民館 第36回文化祭 面作り同好会の作品展示

       
      
          神楽面とかつら  山本哲男・貴範 親子展

         

そも みずからは安佐北区より この地へ来たり
    妻と二人 神楽の小物の商いをなりわいといたす 児玉敏之と者にてそうろう・・・・。


     本地の旧道から、流通団地・新栄ハイツへの進入路横に
       新たな神楽工房をかまえて再出発
          神楽の道具ならご相談くださいとのこと・・・・
                               神楽工房こだま 児玉敏之

         
           
          神楽大会
 
                    ポスター展
                               千代田中央公民館
   

                 見たことのある なつかしいポスター
       芸石神楽競演大会、優秀神楽競演大会、 おおあさ鳴滝神楽競演大会 などなど


      
                        筏津神楽団練習中

  

2005 芸北神楽フォーラム 
          〜神楽、 明日へ〜  主催・広島県芸北地域事務所

 およそ100の神楽団 多くの人がエネルギーを傾ける
       この神楽の将来は・・・・ 神楽を生かす道は・・・・・

 パネルディスカッション 
      コーディネーター 寺本泰輔 比治山大学教授
      パネリスト     井上由美 神楽ホームページ「木目町内会」
                  串 信孝 中国新聞社北広島支局長
                 辰巳佳寿子 山口大学エクステンションセンター講師
                  能美 剛 中川戸神楽団団長

伝統を守るか、色々工夫して新しい神楽を求めるか
   ・・・・・文化・芸術は、一箇所に留まると飽きられ、
                     いきなり2歩も前進すると そっぽを向かれる・・・・・
              半歩づつ前進し続けるのが良いとか・・・・

 常設の神楽の発表の場が・・・神楽を体験できる場が・・・・・プロ化は可能か
 このフォーラムを共催したNPO法人広島神楽芸術研究所では・・・・・・・


      

   月一の舞い・・・18年8月から19年3月まで、月1回神楽の定期公演
              19年も続けて・・・・・・・

  多くの若者がエネルギーを傾注
          ファンも増えている・・・・・・・神楽が、文化として
成熟 ? できないものか
             例えば、広島へ観光に来れば、夜は神楽   

                           歌舞伎、宝塚歌劇団
                           岐阜・高山祭りの屋台からくり人形は、年2回の祭りのほか
                                            展示館へ年中観光客が訪れる
                                                      
高山祭り屋台会館
                    スターの出現・・・・高い料金を払っても
                    東京・大阪など全国で公演全国的に認知
                        ・・・・・・・・
 月一の舞いが、旅行業界やホテルなどで紹介され、旅行日程に組み込まれれば・・・
            広島からバスが・・・・町内に宿泊して・・・・
     そんな契機になればと願うのですが!

       *****************************

 以上は、私が観せていただいた神楽のうちから掲載させていただきました。
 お許しを得ず掲載させていただいたものがあろうかと思いますが、ご容赦ください。
 観せていただいたもののうち、写真が撮れていない神楽は、
   五神    (後野神楽社中)
   天神    (小原神楽団)
   おしき舞  (溝口神楽団)
   四剣    (茅原神楽団)
   尊神    (長尾組神楽団)
   天の香具山(中川戸神楽団)
   皇后    (高野神楽団)
   安珍清姫 (雪田神楽団)
   奥州安達ケ原の鬼女(八重西神楽団)
   大楠公  (津浪神楽団)
   壇の浦   (上本地神楽団)(大塚神楽団)
   吉川元春  (上石神楽団)

神楽にはまだまだ多くの演目があります。
近年、近隣で舞われたもので私が知りえた神楽は
   御座舞  (大都神楽団)
   鬼返し   (長尾組神楽団)
   かっこ
   羯鼓
   かしま
   鹿島
   きりめ
   切目
   大国主命 (上殿神楽団)
   やそがみ
   八十神
   吉備津彦、桃太郎伝説 (西宗神楽団)
   吾妻山   (横田神楽団)
   桜井の駅 (原田神楽団)
   曽我兄弟 (上河内神楽団)
   武蔵野ケ原(旭神楽団)
   新羅三郎源義光(木坂神楽団)
   源頼政ぬえ退治(あさひが丘神楽団)
   元就公   (吉田神楽団)

   ほか
  



  神楽は、日本統一の歴史を伝えています。

  島国日本の各地に住みついた私たちの祖先が、
        時代とともに統一されたのは、歴史の必然と言えばそうでしょう。
  しかし、その過程で、数々の戦いや抑圧の犠牲になった人々が
        あったことを忘れてはなりません。
  しかし、統一のお陰もあって、民族の分裂といった不幸に合わずに済んだことも確かです。

  しかし、一方では、中央集権的体質が民族の伝統となり、
             人々の生活に根ざした分権自治社会の実現の
                         足かせになっているのも事実です。 
   ・・・・・・・このような視点から、日本の社会を西欧の社会と比較し、
             地方分権社会の実現の一助となればと、
                        「 自治のすすめ 」 を著作しました。
  もし、ご関心をお持ちでしたら、ご一読いただければ幸いです。
  町の図書館や公民館の本棚に置いていただいています。
                                               杉本武信 


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                                     絵・植野精華 製作・筏津神楽団
              筏津神楽団  「 大江山 」


  しゅてん
  酒呑童子は、その名のとおり酒の好きな鬼 
  もともと仏門にあったが、酒が過ぎて破門された
  だから、仏教に相応の知識があり、頼光と問答できた
  しっかり勉強しておけば、頼光らを偽の山伏と見抜けたろうに、
  山伏というので、ついつい仏心を出し、命取りとなる
  豪快なようで、警戒心も強い         
  酒におぼれ、間の抜けたところもある、              
  子分のために一肌脱ぐ優しさもある
  人間味のある鬼です

    ・・・鬼面は、大きくて丸顔で、きつくない
      少し上向きの、
      人の良さそうな ? お面がお似合いのようです

    
大江山の鬼についてはいろいろと   大江山 伝説


















   

       筏津神楽団  「 大江山 」   筏津大歳神社 平成22年秋祭り

    鬼が五つ出ます。 後列中央に酒呑童子ほか家来が四人
     手前は、中央に源頼光、右が渡辺の綱、左が坂田の金時

土蜘蛛
             この神楽は、別名「葛城山」とも言う。
       
かつらぎざん
   大和国葛城山に年古くより住む土蜘蛛の精魂がこの国を我が意のままにせんと、侍女の胡蝶に化けて、
   病気療養中の源頼光に近づき、典薬の庁から賜った薬と偽り毒薬を飲ませようとする。

      

       
  曙神楽団   「 葛城山    平成20年11月1日 千代田まつり神楽発表会
  
        「いかに頼光殿、おん心持ちはいかにて候や?
              良薬と偽り、毒薬を飲ませた土蜘蛛の精は
                 初めは心配そうに、次第に言葉を荒げて
                     毒薬に苦しむ頼光を取り食らわんと襲いかかるが・・・・・ 

   これを頼光は、源家の宝刀で撃ち払う。
   土蜘蛛の精魂は手傷を負い、葛城山に逃げ去る。
   頼光は、この宝刀を蜘蛛切丸と名づけ、四天王に授けて退治させる。

          

           上石子供神楽会 
「 土蜘蛛 」  平成19年夏 吉川元春館跡歴史公園完成祝賀会

           源頼光の毒殺に失敗して手傷を負った土蜘蛛の精魂は、葛城山の棲み家へ逃げ帰る

         

           
山王神楽団  「 土蜘蛛 」   平成19年11月3日 千代田まつり神楽発表会

           源頼光の命を受け、葛城山の土蜘蛛の棲み家を襲い、退治する
                           ・・・・・・・左の坂田金時を演じるのは、中学1年生

                                                 ご紹介 山王神楽団

 
 私が子どもの頃の思い出だ。
 毒薬を飲まされた頼光が、いきなり元気になって土蜘蛛と戦い、土蜘蛛を退散させる。 
 これは不自然だ。         
 これはきっと、毒薬を飲む振りをして、、毒薬を懐に流し込んだのだ。          
 それでは、なぜ、胡蝶を土蜘蛛と見破ったのか。

 そのためには、こんな問答があったら面白い。
 例えば、天薬の頭のところへ薬をいただきに参ったのだから、頼光が胡蝶に質問する。              
 「天薬の頭はお元気だったか?」
 「何か、お話があったか?」
 天薬の長に会っていない、あるいは天薬の長を殺害した土蜘蛛は、この質問に、一瞬たじろぐ。
 胡蝶のあやふやな返事に、変だと気付いた頼光は、
  「そうか、お元気でいらっしゃるか。それはよい。」
 と言いながら、薬の調合に行く胡蝶の後ろ姿に首をかしげ、思案の所作をする。
 そして、そ知らぬふりで、袖を上げて飲む姿を隠し、,器を落として倒れこむ・・・・
 それなら、いきなり元気になった頼光に納得できる。

 



        
ぬえ
 頼政の鵺退治 
                          ししんでん       ぬえ
         平安末期、時の帝は、宮中紫宸殿で、毎夜鳴くの不気味な声に悩まされる
         鵺は、頭は猿、背は虎(牛)、尾は狐(蛇)、足は狸、声は鴉に似た化け物
         多くの猿を引き連れ・・・・子猿も抱いて
         これらを、弓の名人源頼政が退治する

          

          
 後野神楽団  「 頼政 」  平成19年12月1日 筏津神楽団刀納め


 平氏の略系図      
                                維衡 ・・・清盛 − 重盛 − 維盛   
                   国香 ー 貞盛 −[
  桓武天皇 ・・・平高望 ー[             維茂
                   良将 − 将門    生没年未詳
                         〜940

 源氏の略系図

                            948〜1021   1104〜1180
                             頼光 ・・・・・ 頼政            頼家        
  清和天皇 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ [                    頼朝 ー[
                             ・・・・・ 義家 ・・・・・・・・ [        実朝
                                              義経
                                             1159〜1189
               

   * 歴史としては、「大江山」よりも、「平将門の乱」が先のようです。(将門の乱の後に、頼光は生まれている)
     しかし、神楽としては、「大江山」が古いので、前に並べました。


 たいらのまさかど
 平将門の乱 

 10世紀に、平家一族の抗争に端を発し、京都の朝廷に対抗して「天皇」を名乗り朝敵となった平将門の乱を描いた、関東を舞台とする神楽です。
 

    平将門は、一族の叔父達の陰謀で領土を奪われた。
    将門は領土を取り戻すため、叔父達や平国香を討ち、
    
しもふさ            ひたち  しもつけ こうずけ
    下総国に拠を構え、さらに常陸、 下野、 上野の国府を攻め、自ら新皇と名のる
    父の平国香を討たれた平貞盛は、藤原秀郷と力を合わせ、将門を討ち果たす。
    平貞盛は後に鎮守府将軍に任じられる
      ・・・・940年(天慶3年)のこと、世に「天慶の乱」、「将門の乱」と言う 

   
      叔父の子の平貞盛と藤原秀郷に応戦する平将門ら・・・・・・将門は敗れ、家来を逃し、無念の最期を遂げる
                       
 てんぎょう
       
富士神楽団   「 天 慶 」       平成19年10月27日 大朝神楽競演大会
                                                ご紹介 富士神楽団

  
       大太鼓も、小太鼓も、鉦も笛も、女性       太鼓や鉦の音はスナップが効いて、力強いものでした。

      
 新庄高等学校郷土芸能同好会  「天慶記   平成18年 広島大朝会

平将門」、「天慶」の後編

 
その一 「筑波山」

   
                              
舞殿の神楽を拝殿や戸外から観覧する伝統の秋祭り

       
西宗神楽団   「 筑 波 山 」  西宗八幡神社平成22年奉納神楽 

     
平将門に仕えていた女が、主の将門の仇を討たんと筑波山にこもり、修行を重ねて千変万化の妖術を習得して
    鬼女となった。藤原秀郷は平貞盛とともに鬼女成敗に向かう。それを知った鬼女は巫女に変装して、毒酒を御神酒と
    偽り、秀郷と貞盛に勧める。両将は倒れ、襲われるが、神徳の前に術は破れ、鬼女は筑波山に逃げ帰る。秀郷と
    貞盛は鬼女を追って筑波山に向かい成敗する。

                                                 筑波山

 
その二 「滝夜叉姫」

      天慶の乱で父の平将門を討たれた五月姫は、貴船の社で七日七夜の願をかけ、満願の夜、ついに妖術を授かる。
                                           滝夜叉姫について   板東市 浮世絵と将門

            

       
春木神楽団   「 滝夜叉姫 」     平成19年11月3日 千代田まつり神楽発表会

     

       
千代田高等学校神楽愛好会  「 滝夜叉姫 」 平成20年度千代田高校文化祭

      五月姫は、名を滝夜叉姫と改め、父の敵を討たんと立ち上がる。
      父将門が死の直前に逃がした家来も駆けつける。


                           
おおやのちゅうじょうみつくに
     この噂は都に聞こえ、勅命を受けて大宅中将光圀が関東に下り、陰陽の術をもって成敗する。
     そのため、中将光圀は、片手に幣をもって戦う。
     滝夜叉姫は、「父上」と叫び、無念の最後を遂げる。

     

        
阿坂神楽団  「 滝夜叉姫 」    平成19年9月22日 とよひら神楽競演大会

         

紅葉狩

    たいらのこれもち とがくしやま
    平維茂は信州戸隠山へ鹿狩に行き、道に迷う。       (平維茂は平貞盛の甥にあたる)
     戸隠山には鬼女が棲み、旅人を襲い、生き血をすするという。
      鬼女は美女に化けて紅葉狩の宴を開き、平維茂らを誘い込む。
      平維茂らは色香に迷い、酔い伏して、鬼女の餌食にならんとす。
      その寸前に八幡大菩薩が現れ、維茂らの命を救い、神剣を授ける。


     
                                                          園児による鬼女の舞
          
新庄保育所   「 新新新 紅葉狩 」    保育所発表会

   
             保育所での練習風景
            
                                                    
新庄保育所   新新新・紅葉狩

      
                  のぼ く                    さかな
                 
「登り来る、登り来る・・・・良き、肴 登り来る
                     
維茂らが、山中を迷い、谷から登ってくるのを見つけて、大王へ報告する

         
 今田神楽団   「 紅葉狩 」   平成20年4月13日 第15回今田城こぶし祭り

     

       鬼女は、女に身を変え、平然として維茂らを迎え、紅葉狩の酒宴に誘う。
           
有田神楽団   「 紅葉狩 」  平成20年6月21日神楽の里千代田神楽競演大会
        (「紅葉狩」といえば新舞と思われがちですが、有田神楽団の紅葉狩は旧舞で、独特なものがあります。)

     
        
            筏津子供神楽団  「 紅葉狩 」

             
    こども神楽発表大会  主催 (財)広島市文化財団    アステールプラザ

    

    
 大朝小学校6年生の今田凛輝君の作品です。
    大朝小学校の子ども神楽の紅葉狩を描いたものです。
    マジックで下絵を描き、色付けしました。
    ・・・・神楽らしい色調で、子どもが舞う様子が伝わって来ます。

 義 経 


      壇ノ浦     

     源頼朝に追われ、京を立ち退く義経は、途中、妻の静御前と別れ、奥州を目指す
       しかし、奥州にて義経主従もろとも最期を遂げる


  
                     別れ難い義経と静御前の間に割って入る弁慶

   大塚神楽団   「源平盛衰記」   平成17年10月29日  第42回大朝神楽競演大会
               あたか
   義経主従は、加賀の国 安宅の関で、関守の富樫左右衛門泰家の嫌疑を受ける。
   富樫左右衛門の詰問をうけ、
   背に荷物を運ぶ剛力に身を隠した義経が、富樫に見破られそうになると、
   弁慶は 「お前のために皆が迷惑する」 と、主の義経を打ち叩く
   必死の思いの弁慶に心打たれた富樫は、「旅の無事を祈る」 と関所を通す。 

        ・・・・・有名な「安宅の関   

    
                  笠をかぶり、荷を背負い、従者に身を隠した義経を、弁慶は容赦なく打つ
                                  ・・・・後で、弁慶は義経に詫び、主従の絆をさらに固く結ぶ

        琴庄神楽団  「奥州平泉」       平成19年3月 山県郡友会総会
                                           ご紹介 琴庄神楽団
               その年のNHKテレビの大河ドラマは 「義経」

 
  桃太郎さんの鬼退治
                                              しましま
 伝説に登場するは、頭にがあり、縞々パンツをはいている。      ・・・・・なぜ、そういうイメージができたのか?
     加計高校芸北分校の神楽部の研究発表によると、
         (第2回 芸北の教育の将来を考える会)
     古代中国から伝わった陰陽道に発するもので、
                   きもん
     鬼が出入りする方角は鬼門と言い、北東
            じゅうにし     うし とら
     北東は、十二支では、の間の方位
     にはがあり、の毛皮は縞々だから・・・・・


 風の宮 

      
                     賊は、船の櫂(かい)をもつ

      移原神楽団   風の宮  平成21年11月22日 宮瀬神社 刀納
      元冠を神楽にしたもの
      鎌倉幕府の時代、文永、弘安の二回、元の国から大軍が押し寄せてきた。
                 
しながつ
      伊勢の国の風神科長津彦命が、神風を吹き起こし、数千艘の船を沈め、 日本を守った
       ・・・・長い間舞われていなかった神楽を、この度伝承・・・
          日本は負けない、最後には神風が吹く
      
 ・・・・そう信じた先の戦争の歴史をしっかり見つめながら、今日に受け継ぐ・・・

岩見重太郎


                 いけにえ
 娘に代わって、重太郎が 生贄 に、

 中央で、
 
の着物をかぶっているのが重太郎
   後ろの白い箱に入ってを待つ

      神楽は 宮乃木神楽団
  
詳しいストーリーは同神楽団HP 
            「演目紹介」
    
  三次のグランドホテル
     
 神楽&屋台まつり
 ホテルで、ディナーショー風に神楽を
            楽しむのも一興 
 ・・・・・田舎のお祭り感覚で神楽が観れる



鏡山

    浜田藩第六代藩主の奥方に仕えていた岩藤は、
    中老の尾上を妬み、配下の諏訪に命じて草履を自分のものとすり替えさせる。
    尾上はそうとも知らず、岩藤の草履をはき、岩藤に厳しく咎められ、無念の自害をする。
    このことを知った尾上の召使いのお初は、尾上が自害した懐剣で、主人の仇を討つ。
    ・・・・・世に言う「鏡山事件」、享保9年(1724)春の出来事と言われる。
    ・・・・・いわば「女忠臣蔵」

    
                                               登場人物は女性ばかり
          
後野神楽社中  「 鏡山 」      平成18年10月28日 大朝神楽競演大会
                                            ご紹介 後野神楽社中

       *****************************

  有田八幡神社有田神楽団

 広島県無形民族文化財指定50周年を記念して
    「 有田神楽のあゆみ 」を発行

  昭和29(1954)年4月23日指定
    有田神楽団の神楽
          神降し
         天の岩戸
         八岐大蛇


  平成16年に50周年記念事業が催され、
    この度、記念誌が発行されたもの
                  有田神楽団 
  有田神楽団には長い歴史があり
    昭和29年からの出演回数だけを捉えても
      1177回の出演実績があります
                        
   その中には、昭和32年11月3日
 大朝町神楽大会  雲井座 の記録があります
       雲井座(18.12トピックスで紹介)
  
  大蛇が2階席から舞台へ空中を降りてくる
  その時の衝撃は、今も忘れられません

 

         
              すげさわ
      神楽面師 管沢良典 さん 
                        千代田へ工房開設・創業 20周年

         記念して、12月9日に 月一の舞い  神楽公演
   
       そして、サンクスにて、作品展 約130点  平成19年12月8日 〜 16日
           菅沢良典さんは、1956年生れ、浜田市の神楽面師 故日下義明氏に師事
           初め、島根県旭町に工房を開き
           1987年 千代田へ工房を移し、20年


     

       千代田中央公民館 第36回文化祭 面作り同好会の作品展示

       
      
          神楽面とかつら  山本哲男・貴範 親子展

         

そも みずからは安佐北区より この地へ来たり
    妻と二人 神楽の小物の商いをなりわいといたす 児玉敏之と者にてそうろう・・・・。


     本地の旧道から、流通団地・新栄ハイツへの進入路横に
       新たな神楽工房をかまえて再出発
          神楽の道具ならご相談くださいとのこと・・・・
                               神楽工房こだま 児玉敏之

         
           
          神楽大会
 
                    ポスター展
                               千代田中央公民館
   

                 見たことのある なつかしいポスター
       芸石神楽競演大会、優秀神楽競演大会、 おおあさ鳴滝神楽競演大会 などなど


      
                        筏津神楽団練習中

  

2005 芸北神楽フォーラム 
          〜神楽、 明日へ〜  主催・広島県芸北地域事務所

 およそ100の神楽団 多くの人がエネルギーを傾ける
       この神楽の将来は・・・・ 神楽を生かす道は・・・・・

 パネルディスカッション 
      コーディネーター 寺本泰輔 比治山大学教授
      パネリスト     井上由美 神楽ホームページ「木目町内会」
                  串 信孝 中国新聞社北広島支局長
                 辰巳佳寿子 山口大学エクステンションセンター講師
                  能美 剛 中川戸神楽団団長

伝統を守るか、色々工夫して新しい神楽を求めるか
   ・・・・・文化・芸術は、一箇所に留まると飽きられ、
                     いきなり2歩も前進すると そっぽを向かれる・・・・・
              半歩づつ前進し続けるのが良いとか・・・・

 常設の神楽の発表の場が・・・神楽を体験できる場が・・・・・プロ化は可能か
 このフォーラムを共催したNPO法人広島神楽芸術研究所では・・・・・・・


      

   月一の舞い・・・18年8月から19年3月まで、月1回神楽の定期公演
              19年も続けて・・・・・・・

  多くの若者がエネルギーを傾注
          ファンも増えている・・・・・・・神楽が、文化として
成熟 ? できないものか
             例えば、広島へ観光に来れば、夜は神楽   

                           歌舞伎、宝塚歌劇団
                           岐阜・高山祭りの屋台からくり人形は、年2回の祭りのほか
                                            展示館へ年中観光客が訪れる
                                                      
高山祭り屋台会館
                    スターの出現・・・・高い料金を払っても
                    東京・大阪など全国で公演全国的に認知
                        ・・・・・・・・
 月一の舞いが、旅行業界やホテルなどで紹介され、旅行日程に組み込まれれば・・・
            広島からバスが・・・・町内に宿泊して・・・・
     そんな契機になればと願うのですが!

       *****************************

 以上は、私が観せていただいた神楽のうちから掲載させていただきました。
 お許しを得ず掲載させていただいたものがあろうかと思いますが、ご容赦ください。
 観せていただいたもののうち、写真が撮れていない神楽は、
   五神    (後野神楽社中)
   天神    (小原神楽団)
   おしき舞  (溝口神楽団)
   四剣    (茅原神楽団)
   尊神    (長尾組神楽団)
   天の香具山(中川戸神楽団)
   皇后    (高野神楽団)
   安珍清姫 (雪田神楽団)
   奥州安達ケ原の鬼女(八重西神楽団)
   大楠公  (津浪神楽団)
   壇の浦   (上本地神楽団)(大塚神楽団)
   吉川元春  (上石神楽団)

神楽にはまだまだ多くの演目があります。
近年、近隣で舞われたもので私が知りえた神楽は
   御座舞  (大都神楽団)
   鬼返し   (長尾組神楽団)
   かっこ
   羯鼓
   かしま
   鹿島
   きりめ
   切目
   大国主命 (上殿神楽団)
   やそがみ
   八十神
   吉備津彦、桃太郎伝説 (西宗神楽団)
   吾妻山   (横田神楽団)
   桜井の駅 (原田神楽団)
   曽我兄弟 (上河内神楽団)
   武蔵野ケ原(旭神楽団)
   新羅三郎源義光(木坂神楽団)
   源頼政ぬえ退治(あさひが丘神楽団)
   元就公   (吉田神楽団)

   ほか
  



  神楽は、日本統一の歴史を伝えています。

  島国日本の各地に住みついた私たちの祖先が、
        時代とともに統一されたのは、歴史の必然と言えばそうでしょう。
  しかし、その過程で、数々の戦いや抑圧の犠牲になった人々が
        あったことを忘れてはなりません。
  しかし、統一のお陰もあって、民族の分裂といった不幸に合わずに済んだことも確かです。

  しかし、一方では、中央集権的体質が民族の伝統となり、
             人々の生活に根ざした分権自治社会の実現の
                         足かせになっているのも事実です。 
   ・・・・・・・このような視点から、日本の社会を西欧の社会と比較し、
             地方分権社会の実現の一助となればと、
                        「 自治のすすめ 」 を著作しました。
  もし、ご関心をお持ちでしたら、ご一読いただければ幸いです。
  町の図書館や公民館の本棚に置いていただいています。
                                               杉本武信 


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