演 目

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 蔵迫神楽団の主な演目の写真集です。

神迎え(旧舞)

天の岩戸(旧舞)  黒塚(旧舞) 悪狐伝(旧舞)
鐘 鬼(旧舞) 塵倫(旧舞) 熊襲征伐(旧舞) 日本武尊(旧舞)
大江山(旧舞) 伊吹山(旧舞) 八岐の大蛇 (旧舞)  

 

神迎え(旧舞)   

 神楽を奉納するにあったて、この舞殿に神をお招きするという意味の舞で、元来神楽ハ観衆が見るためのものでなく、氏子の人々が秋の収穫にあたってこれを氏神様へ報告し、感謝し、そして神慮を慰める一種の神聖な儀式なのであると信じられている。
 そうゆう意味に於いて、その神楽殿へ先ず最初に神を勧請する儀式舞で、神楽団としては一番大切に一番神聖視している舞である。
 なおこの舞は神楽のあらゆる舞法が取り入れられてあり、神楽の基本的性格をもつ者とされている。
 神社以外の場所で神楽が上演される時は、神迎えが舞われ神々の降臨を勧請するとゆうのが習わしの様である

 

天の岩戸(旧舞) 

 古事記の上巻、天の岩戸の物語を神楽化したものである。
 神楽は高天原において、素戔鳴尊のたび重なる乱交に天照大神が立腹され、天の岩戸に籠らされたので、高天原は急に常闇となってしまった。
 そのため悪神がはびこり、次々と悪事が重なるので、八百万の神たちが種々協議の結果、その天の岩戸の前で御神楽を奏し、大御神は何事かと岩戸を少し開かれたので、すかさず手力男命が岩屋を押し開き、天照大神をお迎えし、再び世の中は光をとりもどし、平和になったという物語である。
 この舞には翁舞と称する天児屋根命の舞、神舞の天太玉命、女舞の大神と宇須女命、荒舞の天手力男命と、神楽の舞の技法が全部取り入れられていて、神楽の中では最も古く、また非常に大切な舞
として尊重されている。

 

鐘 軌(旧舞)

 この舞は素戔鳴尊と備後風土記に出てくる芽の輪伝説、それに謡曲「鍾軌」とを合体ものといわれ、舞の内容は疫神にとりつかれ病床にある唐の玄宗皇帝を鍾軌が芽の輪と十束の宝剣でこの疫神を退治し、救い出すというものである。
 これより芽の輪には除魔の神力があるとされている。
「鍾軌」は神舞、悪舞ともじっくりとじっくり舞い込まれ、石見神楽の真髄を見せるまいである

 

塵倫(旧舞)

  仲衰天皇のころ、異国より数万の軍平が攻めてきたが、この時塵倫(鬼)といって身に翼があって自由に飛行する悪鬼が、黒雲に乗って来て、人を殺すことがおびただしい。そこで天皇は武麿に命じて警戒させたところ、塵倫が襲ってきたことを奏したので、天皇は弓矢を持って立ち向かい、ついにこれを退治した。

 

日本武尊(旧舞) 

 (後編)
 人皇12代帝の皇子日本武尊は東国に賊あり、庶民を苦しめているため征伐するようにおおせつけられ、共に橘姫をつれて東国に出向いた。
 その途中伊勢の宮に立ち寄り、日本姫より東征に行くため宝剣、むら雲の剣さずかった。
 人皇12代帝の皇子日本武尊は東国に賊あり、庶民を苦しめているため征伐するようにおおせつけられ、共に橘姫をつれて東国に出向いた。
 その途中海難にあい共につれていた橘姫が身をなげ海をしずめた。
 それから賊にあい降参といつわり、山を案内してやすませ、山に火をつけ焼き殺そうとするが、宝剣で草をなぎはらい一命を救った。
 賊を退治したその宝剣を草薙の剣と名を改めた。

 

 

大江山(旧舞)

一条天皇の御代、丹波の国大江山に酒天童子と云う悪鬼が多くの配下を従えてたてこもり都はもとより、附近一帯の庶民を苦しめるので時の帝は、当時武勇の誉れ高い源頼光などにこれを征伐するようお命じこれを征伐させることにした。
 そこで頼光は四天王(渡辺綱・坂田金時・確井貞光・ト部秀武等)の面々と山伏修験者に変装して住吉大明神のご加護を受けて大江山に向かい見事これを征伐すると云う物語。

 

八岐の大蛇(旧舞) 

 高天原を追われた須佐之男命が出雲の国簸の川上流にさしっかったころ足名椎、手名椎の長者夫婦に会った。
 「8人もいた姫が八岐大蛇に次々と奪われ、今またこの姫まで呑み取られるれる時がきた。」と最後の姫奇稲田姫とともに嘆き悲しんで助けを求めてきた
 命は娘を嫁にもらうことを老夫婦と約束し、大蛇の出現を待った。
 やがて、たなびくむら雲に乗って現れた大蛇に、命はたくみに酒樽を呑ませ、酒に酔った大蛇と大格闘のすえ退治する。