シリーズ 40 

              へそ  きんしょう
     山県郡の臍の琴庄     ・  

 


     
                     西楽寺から琴谷、庄原を望む
                     ・・・前方右の茶色のビルは豊平支所(旧豊平町役場)

 手前の谷は、琴谷の中心街(戸谷)
 向こうの岡は庄原(都志見)
 この一帯は、山県郡の中心に位置し、東西、南北の主要な街道が交わり、重要な役割を果たしました。
 東西には、岩見路が広島から鈴張を経由してこの琴谷を通り、峠を越えて溝口へ抜け、芸北方面へ。 
 南北へは、大朝から志道原、あるいは八重から中原を経由してこの琴谷を通り、戸谷を下り、あるいは鶉木峠を越えて加計へ
 加計から太田川を川船や筏で広島へ・・・郡内の年貢の米や砂鉄製品、牛、炭、薪などが広島へ運ばれました。
                                        
きんしょう
 琴谷は、昔は小戸谷と言ったらしい・・・・琴谷と庄原を合わせて、
琴庄と言います。

 町の合併前、郡内の各種団体でいざ集合という時は、この琴谷の地でした。

 
 
庄原の岩見路
 昔は、この道端で
牛市が行われたということです。

 消防署前を100mばかり東へ行ったところです。
 左側に庄原八幡神社や薬師さんの参道があります。
 この辺り一帯は「市場(いちじょう)」と呼ばれました。
 道は歩行用だから狭かったとはいえ、
 道端で牛市とはさぞかし迷惑なことのようですが、
 誰もが百姓の時代でしたから文句が出なかったのでしょう。

 道の両脇に商店はなかったが、
 牛市は市頭のもとで定期的に開かれ、山側に宿があって、
 牛市が終わると博労(ばくろう)さん達が酒を飲む
 8畳の部屋がありました。
 雄牛が暴れると危険なので、
 角に「さい竹」を付けて角をカバーして
 おうて来たそうです。
 たくさんの牛が集まり、威勢の良い博労さんの声が飛び交い、
 さぞかし賑やかなことだったでしょう。



 
 
昔、牛市が行われた岩見路に面して
 
薬師さんがあります。

 薬師如来さんは、左手に薬の壺を持ち、病気を治す仏様です。
 そのような所以からか、
 この薬師さんは、薬屋で栄えた香川家によって祀られました。
 香川家は代々、七郎左衛門を名のり、
 金丹の真齢丹を製造して商いました。
 特にこの薬師さんは、
 お参りすると乳がよく出ることで知られ、
 遠くからもお参りがありました。


 
この薬師さんのお祭りも、
 たいへん賑わいました。
 毎年、旧暦の4月8日の前後1週間で催されました。

 お祭りには、
 幟が立ち、餅まきが行われました。
 相撲や花芝居が行われ 、

 力自慢が灯篭の石を担いで
 薬師さんの周りを回る競技があったそうです。

 「のぞき」と言って、お金を出して幕の内を覗くと、
 語りのある舞台芸のようなものがが見れたそうです。
                 と      
                          といたみせ
 そして戸板の上に商品を並べた戸板店が出ました。
     
まわたりばし
 琴谷の馬渡橋から薬師さんの前一帯の道は
 人出でいっぱいになり、
 通り抜けるにもたいへんなほどだったそうです。

 薬師さんの西側に「
代官屋敷」と
 言い伝えられる所があります。
 安政年間に、本地村から移転して郡内76ケ村を
 掌握したということです。
 消防署の下辺りには「牢屋敷」というところもあるそうです。


    

 
その昔、琴谷のこの場所に郡役所がありました。
 明治30年に山県郡の郡役所となり、明治43年に加計へ移転しました。
 その後、農協の支所が置かれました。
 そしてこの辺りに、
牛市がありました。(庄原の薬師さんの下からここへ、そして戦後、消防署の所へ)
  現在、左の鉄筋平屋建は町営住宅
      右のかまぼこ型の建物はとよひら小規模多機能ホーム(高齢者福祉施設)

 

 消防署豊平出張所

 役場豊平支所へ
 統合されることになりました。

 平成23年2月8日の臨時議会で
 補正予算が可決
 工事費1億0300万円

 災害時の支所と消防署の
 連携を密にするため

 この消防署豊平出張所の場所には、
 
牛市場があったと聞いていました。
 確かにあったのですが、
 それは戦後のこと。
 通称「畜連」という団体が開場しました。
 (山県郡家畜農業協同組合連合会)
 





 琴谷老人集会所の入口に立つ
 旧
琴谷小学校の校門
 門柱は左右にある
 標識は、
 もともと「琴谷尋常小学校」となっていたが、
 その後、「尋常」が削り取られたようです。

 琴谷尋常高等小学校の時代、
 溝口から峠を越えて通学があったそうです。















      
 
    平成22年11月     琴庄文化祭・・・・・・琴谷老人集会所
        室内が写らなくて済みません。
        外席では、食べながら、飲みながら観れます。
        琴庄神楽団の神楽も・・・・

    
              西楽寺の横を進む・・・向こうの山肌は広域農道の工事中
 岩見路・・・戸谷の琴谷を西へ林道岩見路線から峠を越えて溝口の六路谷へ。
 この道は、広島から芸北へ通じる昔の街道。
 戦時中は、兵隊さんが背嚢を背負い、銃を担いで、この坂を上り八幡の演習場へ向かいました。
 戦後もしばらくは、歩いて峠を超える者があったが、自動車の普及とともに途絶えました。
 今、この峠に広域農道を建設中。一部はトンネルになります。
 再び、主要な道となります。


 この橋の欄干に
 「岩見路橋」とあります。

 この道は、前方の国道から
 鶉木峠へ行く道です。
 左へ中原方面、右へ都谷方面
 そして、左へ西楽寺の横につながる
 岩見路へ通じる

 この橋がなぜ、「岩見路橋」というのでしょうか。
 西ノ谷川を渡って、こちら側から山すそを通り、
 川の南側を下ったのでしょうか。

 この川の少し川上(対岸)に
 多くの人がお世話になった
 入沢医院がありました。



   
                         
↑下の写真の工事箇所
 龍頭山山頂から、
広域農道の進捗状況を見る
 芸北の溝口からトンネルを経て、戸谷へ。
 写真の右から左へ進んで、中央下の琴谷の商店街の左に降りる


    

 消防署豊平出張所から写す

 いよいよ琴庄の里に降りてきた
 広域農道・・・・雪の中も工事が進む

 やぐらを組む工事中の箇所は、
 国道433号線をまたぐ。

 そして手前の主要地方道安佐豊平芸北線
 (左へ安佐、右へ芸北)につなぐ。












   
  
うつろぎ
  移木の大火
・・・・・戸谷(国道433沿い)の民家7軒が、昭和27年3月に大火に遭った。
      当時は茅葺の家で、風にあおられて次々と火が移ったそうです。
      物の少ない時代・・・・再建にたいへんなご苦労だったと思います。



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