抜粋・「地方自治を確立する会」杉本武信

 
 シリーズ 32  ・
 
 
   地産交流の里・才乙   ・ 
   
 

  * 地域にお伺いした折に取材したものです。地域外の者が適宜に地域を紹介することをお許しください。


 「才乙」は、「さいおと
 地名の由来について、才乙集会所(旧才乙小学校)のグランドにある圃場整備の記念碑に説明があります。
 さらに、この地名の由来について、高杉山の北側を越えて深山に通じる「本峠」と呼ばれる峠にある「乳母御前」の祠の石碑に、同じように記されています。

 
 乳母御前の祠

 ユートピアサイオトスキー場
 北側の林道をしばらく登り、
 スキー場がある高杉山と天狗石山の稜線の手前にある。
 この地点は、標高900メートルを超える

 才乙の人々は、この峠を越え、
 乳母御前の祠にお祈りして
 蓑やハバキ(すね当て)などの
 材料になるコーラ(草)の採集に通った。









 この石碑によると、
 ・・・・祭神は、安徳天皇の祖母にあたる二位の局
 壇ノ浦、一ノ谷、屋島の戦いに敗れ、安芸の山間に逃れ、当地に隠れた。
 現にある「王泊」や「王渡橋」の地名は、これに由来する。
 二位の局は、この地に滞在して機織の業を才乙の人々に授けた。                          
 その機織の際に、横糸を巻いた船形のを、上下に交互する縦糸の間を走らせる時に発する音、すなわち「梭の音」が聞こえてくる村・・・・このことからこの村を「さいおと」と言うようになり、いつしか「才乙」と言うようになったと・・・・

 この地名の由来は、史実かどうかは別として、才乙の村の歴史を如実に物語っている。
 村では、昔より、地域の素材を使って生活用具や農具を生産した。
 コーラ(梗)と地域で言う草を素材に蓑(みの)やハバキを作り、杉板や朴ノ木の板で板箕を作り、檜板でとおしを作り、薬草で薬を作った。
 そして、遠くまで売りに出かけることによって収入を補い、同時に新しい情報に接し、山間の奥地にありながら、多様な産業や文化や思想を育んだ。
 戦後、工業化が進み、その伝統は失われつつあるが、その精神は今も息づいている。


 今に、木工用具生産の技術を伝える
   淀淵文夫さん宅の加工場
                 
いたみ
 右の半月状の木工製品は板箕と言い、
 大豆などの穀類を転がして
 正常なものと不良なものを選り分けたり、
 空中に浮かしてゴミを飛ばす。
            
とうし   おろし
 左の円形の筒は、通しとか卸し言い、
 下に網が張ってあって、
 同じように選別やゴミの除去のために使う。
       
ひのき ほう
 材料は杉、檜、朴ノ木
 曲げたり、釘で留めるには、
 精巧な技術を要する。

 しかし、淀淵さんの技術を
 継承する人はいない。



 
 才乙の村人は、この乳母御前の祠の前を通り、峠を越えて深山へコーラの採集に行きました。
 コーラの採集には期間制限があった。9月1日に総出で道の草刈りをして、9月2日に解禁になる。村人は、少しでも良いコーラを取ろうと競って峠を越え、夕方にはコーラをオイコ一杯に背負って帰りました。




 トンネルを抜けると・・・・という小説があるが、
 まさにそれで、
 細見から板村を通り、
 このトンネルを抜けると
 才乙の里が開ける

 ただし、芸北地域では、
 トンネルと言わない。
 「洞門」と言う。
 
 雄鹿原から八幡原へのトンネルも
 八幡洞門と言う。

 これは、板村洞門と言う。












 板村洞門を抜けると、
 峠から才乙の里が見える。

 周りの高い山に囲まれた
 盆地で平坦な里だ。

 正面の山は、稜線が県境をなす。
 左に中野冠山の裾野が見える。
 中野冠山も山頂が県境。
 右奥に高杉山、その奥に天狗石山。
 天狗石山も、山頂が県境。










  中野冠山 1002.9mから高杉山1148.5mや天狗石山1191.8mを望む

       
天狗石山↓      ↓乳母御前の祠がある峠
                          ↓阿佐山  ↓高杉山ユートピアサイオトスキー場  
 高杉山と天狗石山の間に見えるのが、
 
阿佐山 1218.2m
 この辺りでは一番高く、
 町内では八幡原の臥龍山に次ぐ
 ただし、台形の山で、頂上は高杉山に隠れている。
 ・・・・・この山からは、大朝盆地が一望できる


 ←白いのは、人工雪

                 サイオトスキー場

 地元の方のお話によると、その昔、
 乳母御前がある峠を越えて、
 大朝の
わさまちへ行ったそうです。
 旅は徒歩の時代、細見、小原の里道を回るより、
 山越えが近かったのでしょう。
 ・・・・南には、北広島町の山々が重なる



            

 中野冠山へ町民ハイキング 
    (平成19年11月)

 芸北支所、体育指導員、
 地元金曜会のお世話で、
 総勢40名が登山
 ・・・・・・山道は、毎年、地元の方が
 草刈をされているそうです。

 当日は、ほかにも登山されている
 大小のグループがありました




                 浜田市旭町来尾へ冬季は通行不能です
    
               ↑




 → 大朝から見える阿佐山






 大規模林道細見・大塚線
   途中まで完成


  →筏津・大朝へ











↑細見から     ↑細見から    ↑小原から                ↑溝口・志路原から





 旧中野東小学校
 昭和41年に雲月小学校へ統合
 その後、地域運営の宿泊施設ロッジサイオトに活用
 スキー客や研修・登山などの宿泊

 今は、才乙地区の集会所に。











    

 芸北の才乙大利原の家には、玄関や居間に、

   合 言 葉
   向う三軒両隣
呼びかけてかけられ支え合う
   向う三軒両隣
      民生委員


 旧来の地域社会が崩れ、勤めに出る人や農業を営む人など人それぞれに。
 そして、独り暮らしの高齢者が増えています。
 隣で何かあっても分らない。
 お互いに近所同士で呼びかけ合おう・・・・呼びかけ、呼びかけられ
 民生委員西田護さんが、5年前、
 自分でワープロを打ち、表面をコーテングして、各戸に配りました。
  ・・・・近所に住んでいても疎遠で、亡くなったのが分らなかったり・・・・
     独居老人のことが社会問題になっています。
     町内も、高齢化で、ますます独り暮らしが増えています。
     近隣でのこうした地道な取組みが大切になっています。



          

              
才乙旭神楽団 「 大江山 」  平成20年5月25日 芸北神楽研究発表大会


     
                                  平成22年11月
  スキー場は、人工雪の製造開始。
  ユートピアサイオトスキー場・・・・スキー場の頂上付近は、うっすらと雪化粧。





    
                                  平成19年11月
      スキー場は、若者の元気な声
                           ・・・・・・・・サイオト・スキー場

 地産交流の里・才乙は、今、スキー場や民宿の里に様変わりした。
 冬はいち早く、スキー場をオープン。
 元気な若者で活気付いている。


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