抜粋・「地方自治を確立する会」杉本武信

 
  シリーズ 31   ・
  
 
      川 戸 千 石         ・
      

 * 地域にお伺いした折に取材したものです。地域外の者が適宜に地域を紹介することをお許しください。


 川戸千石・・・・「千石」とは?
 資料がありました。名田富太郎著「山県郡巡り道中記」です。
 その中の、「山県郡租税の沿革大要」の節に、「山県郡各村段別石高表」に、川戸村について、元和五年(1685年)に1001石9斗1升5合、文政年中(1820年頃)に1008石1斗8升5合とあります。そして畝(面積)は、124町5反9畝4歩となっています。

 


   川戸千石太鼓 結成30周年記念演奏
                           平成20年6月
   栗田裕輔先生のご指導で30年
     兄弟太鼓の向原の日之原太鼓や大朝の可愛川太鼓が駆けつけ、
     千石太鼓を受け継ぐ地元の子供たちも加わり、
     フィナーレは、栗田先生のタクトで、全員による演奏

    

      「千石」とは、その昔、千石の年貢に苦しんだことからとか・・・・
      30年間、歴代の部員は延べ 大人43人 女性15人 子ども58人






       
                    平成19年6月  上川戸営農組合
   梅雨の合間をぬって、麦刈り

     新品の大型コンバインで、一気に刈り取り
         まずまずの出来のようです
           千代田地域は、約20へクの転作小麦を機械共同利用

  昔は、麦を刈って、田植えをして、泥落し・・・・・・・
               その頃には、田の水も温んで、泡が立つような・・・・
       時代も変わったもので・・・・・・






       
                                     平成20年4月
                      みなも
      小雨の中、芝桜が水面に映えて美しく   あらがき  しろかき
                           田んぼは荒掻き(代掻きの前工程)完了

          川戸は金比羅谷の石田叶好さんの田んぼ
               8年前に圃場整備工事の後、法面に芝桜を植えた
                   (草が生えた後は、芝桜が草に負けるのでシートをかけるなどの対策が必要)
          科学肥料を半減して有機肥料を充分使う
          減農薬で育てる「こだわり米」のコシヒカリを
          農協経由で、マイコック さんへ          マイコック


       芝桜は、多年草で、茎は地上を這い、紅、白、淡青の小さな花をつける
          上から下へ伸びるのが特徴
          殺風景なコンクリートの法面を芝桜で覆ったりもする
          田んぼの土手は、年3〜4回草刈が必要
          これなら草刈は不要で、美しい




    
                                       平成20年10月
      準備が進む ミニトマト団地      川戸

        4070万円の助成を受けて、たくさんのビニールハウスを建設
           (県補助金2720万円+町の借入金による補助金1350万円)
                 パイプもひとまわり大きく、幅も広い

     JA広島北部が整備して、千代田と大朝の4人の農業者にリース
          養液土耕システムでのミニトマト栽培に取り組む企業体経営により
                 高冷地の気象条件を活かした西日本一の夏秋トマト産地を目指す





    
                           平成22年10月 川戸の大和田の転作田
 
キャベツの収穫・・・・夏が暑かったため、秋野菜は高値で推移。
               産地はさぞかしと思うところですが・・・・

 広島県は
お好み焼きの発祥地。ところが、お好み焼きに使うキャベツの県内自給率は10%以下。
 お好み焼き1枚に、キャベツ200gを使うとして、推定年間5000tを使う計算。
 キャベツは面積割合に収量が少ないので、郊外の小面積の野菜農家では採算が取れない。これまで大半は、長野辺りの大産地から広島の市場へ。
 その点、農事組合法人は広い転作田を抱え、転作田の活用が課題。農事組合法人の作物に適しているのはないかと、川戸の農事組合法人せんごくの里を先頭に県内18の法人が増産に取り組む。
 お盆の頃に植え付けると約2か月で育つ。稲刈りの終わった頃に収穫できるのも都合がよい。
 キャベツには、5,6品種あり、雪の下で甘く育つキャベツも計画しているとのこと。





                               平成19年6月
  上川戸 虫送り踊り
                    虫送り踊り保存会

 「虫送り」は、伝統の行事で、各地の集落で行われていました。
 神社の神事として伝える地域はありますが、踊りを伝え、「実盛(さねもり)さん」を川へ流す行事を昔そのままに伝えている地域は数少ないようです。

(由来)
 稲作農民にとって、稲の苗を食い荒らす害虫は恐ろしいものです。
 しかし、昔は、今日のような農薬はありません。
 神に祈るほかありませんでした。
 源平が争う時代、武士の実盛さんは、老体で戦場に出るのを止められたのにもかかわらず、若化粧して戦いに臨みました。
 一生懸命戦いましたが、水田にはまり、足をとられ、、あえなく最期を遂げました。
 その時、実盛さんは、水田を恨み、「我は害虫になって、水田にたたる・・・・」と言ったとか。
 以来、農民は、実盛さんのたたりを恐れ、実盛さんの人形を作って、川に流し、害虫を川下に送って、豊作を祈るようになりました。

(写真)
 中央の色黒の人形が実盛さん
 実盛さんを囲んで踊った後、橋の上から、実盛さんの人形(わらで作った別の人形)を可愛川に投げ入れます。
 わら人形は、川面に浮かび、ゆっくりと流れて行きました。




   
        
正面が亀尾山八幡神社 その左奥に金毘羅大権現
                 左へ行くと森光  右へ行くと外原


  金毘羅谷の名称は、四国の金毘羅さんと関係あるのか.。
   ・・・・あるのです。
 おそらく明治の初めの頃、川戸の方が金毘羅さんにお参りしてご神霊を戴かれ、亀尾山八幡神社の左奥に祀られた。以来、この谷を金毘羅谷と言うようになった。

 この八幡神社辺りを森中と言い、
 右へ行くと外原から、さらに行くと棚原へ。昔は5、6軒の家があったが、今は2軒
    ・・・・棚原は、旧大朝町。金毘羅谷を通らなければ行けなかったので、町広報や急がない通知は、金毘羅谷の入口の小畑商店に預けて、
      買い物の便に渡してもらった。
      今は岩戸から棚原へ林道が開通。
 左へ行くと森光から、さらに奥へ行くと、やはり旧大朝町分の水田がある。
    ・・・・家もあったとか。今は、森光の方が営々と耕作しておられる。
       昔は岩戸から行けたそうですが・・・・




 
 
 上川戸と中川戸の間。
 江川と県道が山に迫る所がある。

 今は、山を切り取って、
 広い道になっているが、
 昔は、川が山すそにぶつかり、
 交通の難所だった。

 いつごろ安置されたのだろうか。
 石の表面は平らで、
 ほとんどお姿が分らない。

 この難所で、幾度となく
 人や車が川に落ちた。
 しかし、怪我をした者がいなかった。
 お地蔵さんのお蔭と人々は感謝した。

 なんでも、
 遠くの方から、
 乳がよく出るようになると、
 小豆を供えて
 お参りされる女性があるそうだ。


    
 川戸のお地蔵さん

 川戸出身で実業界で活躍された  三宅 勇 さんが、
 郷土の安寧を願って、川戸路へ立てられました。

 三宅勇さんは、芸石地域の郷土英俊の奨学を目的として
 昭和43年に三宅奨学会を設立され、奨学金を貸与。
 以来、平成19年まで39年間に、540名の奨学生に奨学金を貸与してきた。

 川戸路の
 大朝境の山側
 上川戸の
 中川戸の
 惣森の国道433号線と県道が交わるT字路の川戸寄りのカーブ

 まだ、あるのでしょうが・・・・










      
                                    
平成22年10月
 
国道433号線を川戸から蔵迫への道路脇に
     
         ひおどし りきや
      元大関 
緋威力弥の墓 
がある。      相撲人名鑑  相撲錦絵の繚乱
        
川戸出身で約200年前の江戸時代に活躍。明和9年(1772年)生
        本名森脇勝五郎  緋威力弥
        緋威力弥は、「古今無双の大力」と言われた。(「わすれのこり」)






                        
平成22年10月
 
超えるか白鵬 双葉山の全勝記録
   
伝説の力士双葉山が、にわかにクローズアップ

   この「
龍頭山鉄之助之碑」は、その双葉山の書によると、石碑の右側面にあります。
 石碑の裏側に、龍頭山鉄之助の功績が記されています。
 緋威力弥よりもやや後の推定文政8年(1825年)に
 川戸金比羅谷(当時はまだ、金比羅谷とは言わなかった)の民安八郎兵衛の三男として生まれ、
 17歳で川戸を出て大阪角力の大関に。




  
                                      
平成22年9月
       川戸路を車椅子レースの練習に励む前長君と友人

 
車椅子のスポーツにはいろいろあります…バスケットボール、テニス、サッカー、ダンス、アーチェリー、フェンシングなどなど。
 しかし、それらの多くは都会で。田舎では、仲間が少ない。
 何かにつけ、障害者にとって田舎は住みづらい。医療や福祉施設はもとより、教育施設や体育施設、あるいは社会参加、就労の場など選択肢に欠け、いろいろな面で不自由だ。
 いつもは一人で孤独な練習の前長君・・・今日は三次の友人と一緒。思わずシャッターを切りました。




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